17歳から18歳になる365日の間に考えた、二宮和也に関するNOTE。
 うち、今でも時々頭をよぎるみっつのこと。


 【いち:亀】
 8月30日の横浜アリーナに、奴は亀を持ち込んだ。水槽(つーか虫かご…)に入った5匹の小さな亀を、HIROTAの紙袋につめこんで。あともうひとつ、HIROTAの紙袋に入っていたのは亀のエサ。最初に亀のエサを当日誕生日だった御仁に渡す時、二宮が言った一言は「松本さん、最近メシ食えてないってことで」……だったと思う。そんなニュアンスのことを。
 その夏「もしかして松本はずっと調子崩してたんじゃないの疑惑」にとりつかれていた私は、もーそれを聞いた瞬間「やっぱりかーーーっ!!」と声に出さずに絶叫したものである。なんというのか。二宮という人は、とても不用意なのですね。不用意って言葉が悪いが。そういう点で彼はとっても不用意で、それゆえに私は彼のことを信用している、というか。すくなくともあの人が口に出すコトバの中に、いくらかの事実が必ず含まれている、と、思える。
 なのでこの大誕生日企画の際に「人の誕生日祝うのと寝るのが人生で一番好き」というのも、事実なんだろうなぁと思う。だが。その人生で一番好きなその時、生きた亀を持ち込み、しかもその理由が「もらって一番困るのが生き物とナマモノ」だったから、ときたもんだ(笑)。
 非常にどうでもいい私的な話をはさむと、私はちょうど今の二宮くらいの歳の時、友達の誕生日に、別の友達とはかって『猿の惑星人形21体』をプレゼントしたことがある。なぜ21体かというと、近所のおもちゃ屋で猿の惑星人形が、3体100円で売っていたからだ。はっきり言ってそんなものもらってもちーともうれしくないのである。……が、ウケはとれる。かく言う私も、当時はめちゃくちゃなものばかりもらっていた。ジェニーちゃんお化粧ペンセットとか(ちなみに我が家にジェニーちゃんはいない。)あと、私の例ではないが、サリーちゃんのミニタンバリンとか、カプリコ(お菓子)17個、とか。「これどーーーすんねん!」という誕生日プレゼントを贈ることが、猛烈にハヤっていたのだ。ハヤっていた、が、それはあくまでも『ものすごい内輪』の中の話だけである。そりゃそーだ。あんまり仲良しではない子に、猿の惑星人形などあげられるわけがない。
 私は。
 その亀を見る瞬間まで、二宮はなんとなく人間関係に淡白なのかと思っていた。去る者追わず、来る者こばまず。淡白だからこそ、「昔いじめられてた」なんて話をさらっとできてしまうのかと思っていた。
 でも、ちがうじゃん。そんな、生きてる亀なんかおいそれと渡せないがな。もらって困るもの、って考えて考えて考えて亀5匹買ってきてHIROTAの紙袋につめて横浜まで持ってくる、っていうその一連の行為の中に、淡白さの影も形もないじゃないか。そんなに近い人間関係を持っているとは知らなかった。その時まで。確かに『嵐』っていう特殊環境の中に二宮という人は身をおいているわけだけど、でもそれはそれ(=嵐内での人間関係がうまくいっていること)、これはこれ(=自分がその人間に対して「近さ」を持つこと)、っていうことを(良い意味で)行ってる人だと思ってた。でもちがうのね。きっとそうではないのね。もしかしたら、この人はそんなことないよってフリをして、ものすごく「近さ」を求める人なのかもしれない。
 「一番寂しがりやなのは?」に必ず名前が出てくるのは、きっとそこらへんに理由があるのね?(笑)



 【に:恋】
 春のソロ曲『生涯なにがあっても愛する人へ』は、本人曰く「20世紀最後のバカップルを応援する曲」らしい。彼女になって聴くとヨイらしい。……我は春の間中、一度も彼女になった気分では聴かなかったが(笑)。
 ちなみに私は二宮のこの曲がとんでもなく好きである。どのくらい好きかというと、コンサートの途中諸事情で一瞬退席した時でも、なんとかしてこの曲までには戻ってこようとするくらいである(逆に言えばそれは桜井のソロを捨てるということだ!(爆笑))一瞬の判断でそうしてしまった自分にびっくり。そんなに好きかこの曲が?……どうも、そのようなのである。歌詞はいろいろ変わったが、ラジオでもかかった初期のバージョンのものが特に好きなようである。
 曲に描かれているのは多分「恋」だ。多分「恋」だが。
 /やりたいことがうまくゆかず/どうしようもなく落ち込んで/
 /困って迷って泣いていいよ/その時はつつんであげるから/
とは、もったいなくてそこらへんのバカップルには聴かせられない。
 困って迷って泣いていいよ、とは。……自分が言ってもらいたい言葉でなければ、人に言ってあげようとは思わない。そう言ってあげたいのは、きっと自分自身の内側に。そう歌うことで、この人が多少なりとも困ったり迷ったりすることができるようになるなら。
 /それでもキミの心がばらばらになりそうだったら/僕に言って/
 ここもオニのよーに好きなフレーズである。何が好きって、この「も」、それでも、の「も」が好きである。「それでも」キミの心がばらばらになりそうだったら、なのだ。キミが1人でがんばってがんばってがんばって、「それでも」ばらばらになりそうだったら僕に言って、と歌うのだ。「それでも」ばらばらになりそうになるまでは、がんばらねばならぬのだ。「それでも」ばらばらになりそうだったら、僕に言って。ずっとキミの手を握っているよ。
 バカップルを応援している場合ではない。ここに描かれた「恋」とは、きっともっと違うものだ。「恋」とは、多分レンアイではない。「恋」とはきっと、もっと違うことをさしてそう呼ぶのだ。たとえれば、どうしようもない時に、最後の最後で味方になってくれるような。そんなことがあったら、それを「恋」と呼ぶのかもしれないなぁと思ったりもする。
 自分の内側にむかって歌う、恋のうた、である。



 【さん:夢】
 二宮には夢があるのかどうか?……と、考えることもある。
 前からそうだったが、彼の中に仕事に対する感情の波、みたいなものがあるらしく、時々そういうふうなことをふと漏らしてみたりもする。うたばんで、石橋氏への質問事項が「仕事をやめたくなったことはありますか」だったりするのがそれだ(と、私は思っている。)
 その年齢で(なんたって本日18歳になりたてである)、将来を決めてしまうことへの迷いなのか、一生嵐では食べていけないことに対する不安なのか。(余談だが嵐の面々はそういう現実に対して非常にシビアなとらえ方をしているような気がする。でも、だからといって嵐を踏み台にするわけでもなく、今から個人芸を磨くわけでもなく、限りがあるからこそそうであれるうちはそうでありたい、と願っているような。痛々しいくらいの真摯さはそこらへんに理由があるんじゃないかと思うのだが。)
 そこに存在する迷いってなんだろう。「こうなりたい、こうありたい」という目標という名の夢がないから、不安定に見えるのか。
 ……でも、迷いは、あってほしいよな。
 「これでいいのか」という迷いは、常にあってほしい。迷いが、あってもいいと思う。「これでいいのか」と問い続けながら、答えを探していくのがつまり生活するってことなのかもしれないし。実際私は二宮よりも結構長く生きているが(笑)そんな歳になったところで「これでいいのか」の迷いが消えるわけじゃない。充実した今にこだわらなくてもいい。迷ってばかりの今の方が、きっともっと先へ進めるような気がする。そのための力が、出てくるような気がする。
 「これでいいのか」って、ずっと問い続けていてほしい。その答えは一生かかっても出ないかもしれないけど。夢という名の確固たる目標がなくてもいい。それがないから不安定なわけじゃない。「これでいいのか」って、自身に問いかけているから時々人にその答えを聞いてみたくなるんだ。
 その問への答えが、ほんの少しでも彼が『嵐』の中にいることでみつかってくれるなら、そんないいことってないよな。


    

 ハッピーバースデー二宮様。人の誕生日を祝うのが何より好きな貴方の、18歳のこの1年に幸多かれ。そして1年間、めいっぱい人のことを祝ってあげて、それをいちいち報告してくださることを控えめに希望します(笑)


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