ワタクシごとで恐縮だが、私は今迄一度たりとも「子どもの頃に戻りたい」と思ったことが「ない」
 別に虐待されていたわけでもないし、声を大にして言えるほどの不幸は多分なかったはずだし、今何か当時のことを恨んでいるわけでもないし、そのせいで何かひどい目にあったとかいうわけでもない。
 でも、戻りたくない。絶対に。未来になら行ってもいいかもしれないが、過去はいやだ。もう一度やり直せと言われたら、それだけは勘弁してくださいとあやまるしかない(どこにあやまるんだ、という話だが。)
 なんつーか。
 なんつーか、当時は朝が来るのがいやだった。一言で終わらせてしまえばそれだけだ。次の日がくることがいやにならなくなったのなんて、実はここ数年の話だ。

 もうちょっと、コドモらしく暴れておけばよかったかなと今では思わないこともないが、困ったことに私は学校では優等生で通っていた。好きでそうなったわけではなくて、それはもう持って生まれた自分の気質としか言いようがない。やなこともめんどくさいこともうっとーしーこともかなりの割合で自分の頭上に降ってきて、「アナタは優等生であるのに何故これができないのですか」という怒られ方をされるのが一番嫌いで、でも毎日そんなことの繰り返しだった。
 優等生だったけど運動音痴だったし、周りに頼られるから人気者になるとかそういうことも全然なく、どうしようもないというか、居場所もないけど居場所をみつける気もないというか、それは学校だけの話じゃなく家にいてもそうで、でもつまんないとか思うこともなく、ただ夜になると次の日が来るのがいやでいやでいやで。

 「そこで抵抗するのも「めんどくさい」みたいなさ」

 …本当、そこでコドモらしく暴れておけばよかったのに。今更だけど。
 でも、抵抗すんのも「めんどくさい」と思ってたんだよ。本当に。

 だから、ってわけじゃないけど、青の炎は見ながら号泣だった。原作を読んでも「あぁ、なるほど」という感じだったのが、映像を見たらなんか、なんというか、がーっと色々一直線にせまってくる感じで。
 殺人を正当化しない、と。そう、何度も何度も二宮が言っているところに本当に申し訳ないと思いつつ、「いや、でもクシモリくんあんた間違ってない!」と拳振り上げて立ち上がってしまいたい気分だった(笑)(迷惑なのでやめましょう。)

 オトナはどうしてオトナの都合をコドモに押しつけるのであろうか。
 どうしてオトナはオトナの都合をコドモに押しつけて、そして私も被害者なんですという顔をするのだろうか。
 そういうことを映像としてきちんと表現しているのが大のオトナであるはずの蜷川氏(通称ニーナ)である、という事実がすごい。マジ、すごい。
 オトナは「どうしようもないのよ」と言いながら、実は本当は逃げ道があることを知っている。「どうしようもない」現実に甘んじているけれど、ほんとはどうしようもないことなんかない。逃げ道に飛び込むためにはよっぽどの勇気と決断と実行力が必要かもしれないし、そこに行くのはリスクの方が大きすぎることもあるかもしれない。でも、「どうしようもない」ことなんか、ない。そのくせ、「どうしようもない」という現実を自らの悲観としてコドモに押しつけていることに気づかない。
 「どうしようもない」と思うことは仕方がない。それはしょうがない。でも、せめてオトナの義務として、「逃げ道はあるけれど自分はそこに飛び込まない選択をした」ことは、自覚してしかるべきだと思っている。
 でも、オトナはそれを自覚しない。自覚しないで、ただただ悲嘆にくれている。それをコドモにも押し付けて、一緒に悲観するべきだと無言で圧力をかける。
 クシモリくんはコドモでしかない。コドモでしかないから、その世界は水槽の大きさくらいしかない。水槽から出て、違う場所に行く、という選択肢はコドモにはない。コドモには逃げ道がない。逃げ道があることをわかっていて悲観しているのとは違う。逃げ道がないから悲観する。悲観が沸点に達した時に行動がおこる。
 その、行動を支持するのは確かに間違っているが。間違っているが、でも。
 ただ勝手に、「わかる」と思っている。私はもうオトナで間違いないけれど。でも、勝手に、「わかる」と。

 コドモの世界は狭くて逃げ道がなくて、そしてその狭い世界には押し付けられた悲観と悲嘆で充満している。

 「わかる」けど、実際、昔の私は沸点には達しなかった。
 ただ、次の日が来るのがいやだと、それだけを思っていた。
 次の日を自分の手で取り返そうとはしなかった。
 そこで抵抗するのもめんどくさいと思っていた。




 「なんで、ただ叫んでいるだけの子どもを見るためにお金を払ってくれる人がいるの?」

 なんでだろうね?
 それは多分、欠けてる何かを探してるからだと思ってる。私は、の話だけど。

 あのさ。毎日楽しかったら、ジャニーズJr.なんかやんないでしょ。
 確かに、ジャニーズJr.になっていいことはいっぱいあるかもしれない。でも、絶対それよりは足枷になることの方がずっとずっと多いと思う。めんどくさいこと、やってらんないこと、理不尽なこと。同じ年頃の子はだいたい皆学生で、自分のことだけ考えてればいいのに、ジャニーズJr.ってそういうわけにもいかないし。
 たとえば、最初に「こうなりたい」って憧れがあったとしても。学校行って、部活やって、友達と遊んで、彼女と遊びにも行って、そんな生活が楽しかったら、絶対、ジャニーズJr.って選択が入り込む余地がないと思うんだ。
 じゃぁJr.やってる奴はみんなみんなそういう楽しみがない暗い生活送ってたのかってそういうことではなくてよ(笑)、それは、気質の問題として。周りの環境とかはあまり関係ないと思う、本当にそれはただの気質の問題として。
 ただなんとなく、生きにくい、とか。
 なんとなく、水槽の中で息を詰めてじっとしているような。

 二宮からは特にそういう感じを受ける。だから、青の炎の「救いを求める手」も、水槽の中でじっとしているところも、なんか本人みたいで。
 私は二宮のことなんかなんにも知らないけど、でも、本人みたいで。

 1人のコドモがなんらかのキッカケでジャニーズJr.に放り込まれて、めんどくさいこともやってらんないことも理不尽なことも乗り越えて、少なくとも顔と名前がこちらに認知されるくらいまで続けることができる、というのは。そこが楽しいから、だけじゃ説明がつかないような気がしている。その先の不確かな将来のため、だけじゃ、説明はつかない。
 入る前に毎日楽しいことしかなかったら。それだったら、すぐにでも捨てられるものだと思う、ジャニーズJr.ってやつは。でもそれを捨てないのは。
 そこに入る前に感じていた「なにか」が。なにかが、そこにはあって。
 ただなんとなく思う生きにくさ、みたいなものが薄れたり、自分が入っている水槽が少し広くなって息がしやすくなったり。そういうことでもなければ、続けられないんじゃないかと思っている。
 きっと、欠けたなにかがそこにはあって。
 その欠けたなにかを私も探していて。
 欠けたなにかがそこにあると思える可能性のために、私はお金を払うことができる。多分。




 「「オレがいなくたっていいじゃん」くらいに思ってた。」

 当時のジャニーズJr.は、今ほど管理統制されてなかったし、ユニット分けとかも細かくされてたわけじゃなかったし、確かにゴールデンタイムに看板番組持ってたりとかしたけれどだからどうってんでもなくて、みんながみんな馬車馬のよーに働かされてて、とにかく人数だけはいっぱいいて、しかも時折そのいっぱいの人数全員が同じTシャツ着て踊るようなこともあって、えーとだからつまり。
 つまり、確かに、「オレがいなくたっていいじゃん」な状態だったのだ(笑)
 でも、「オレがいなくたっていいじゃん」と、そう思える「オレ」という存在も、絶対的に必要だったことは確か。
 人数いっぱいいる中で、みんなが「ガンバリマス!」じゃしょうがない。みんながオレが俺が、でもしょうがない。人数いっぱいいて、その中で全員同じカラーじゃ困るわけで、だからあの時「オレがいなくたっていいじゃん」と思えるその人こそが必要だった。ようはそういうことなんじゃないかと思う。
 じゃぁその、「オレがいなくたっていいじゃん」の「オレ」は、運だけでここまできたか。まったく「ガンバリマス!」的な努力をしてこなかったか。
 …そんなわけないだろ、と(笑)

 そんなわけないだろ。そんなんで、あの人数のあの状況の中で前に出てこれるかよ。
 あそこのシステムは確かに最後は社長の鶴の一声だろうが(余談だが嵐結成の際の新聞記事で「デビューグループのメンバー選出方法は企業秘密なのか」という質問に対し、事務所スタッフが「社長がすべて1人で決めるのである意味企業秘密です」という回答を出していた。最もな回答すぎだと思った(笑))、その一声にひっかかるところまでは自力で前に出てなきゃいかんだろ?そっから先は運とタイミングでしかないけど、そこまでは。そのラインまでいくには、運だけじゃだめだ、きっと。
 「オレがいなくたっていいじゃん」の「オレ」が、がんばってなかったわけないだろ。


 「よく覚えてないんだけど。'99年12月で全部やめて」

 そんだけがんばって。前に出てきて。顔が出て、名前が出て。
 でも、全員に将来が保障されてるわけじゃない。
 どこかで道は途切れて、どこかで道はつながる。その間には、運しかないんだと思っている。

 1999年は私にとっては特別だ。
 もういいかげんうっとおしいくらい書いているから詳細ははぶくが、例の写真週刊誌のゴタゴタ…というか私にとっては天変地異(笑)があったのが1999年1月だった。年の初めのあたりで、そんなことがあった。
 だからなんとなく。なんとなくだが、「'99年12月」に全部やめる、というのは状況としてわからない話じゃない。わからない話じゃない、というか。というか。
 非常に独りよがりなことを書かせて頂ければ、写真週刊誌のゴタゴタで消えた面々を好きだったワタクシとしては、全部やめるつもりだったというその言葉が、うれしかった。
 …うれしかった、って、ヘンか。でも、なんかね。そんな感じ。独りよがりな話をすればね。別に全然関係なくてもいいんだ。

 '99年は、閉塞感があった。Jr.的に。
 滝沢が松竹座でMASKをやったのが'98年12月。KTKが終わったのが'98年12月。松潤が始めて構成にからんだJr.コンが'99年1月頭。なんとなく、全体的に「動くかもしれない」っていう予感みたいな、さわさわした感じがあって、どっかわくわくざわざわしていて、でもフタをあけたらゴタゴタだった。
 ゴタゴタがあってそれが終わったら、MAJ(MAのことです。最初はMAJ=ミュージカル・アカデミー・ジュニア、という新聞発表だった)とかシニアとか、それまでは曖昧なまま同じTシャツを着ることで流されていた区分けがキッパリ決められていて、見える景色が違っていた。
 ゴタゴタして。どっか閉塞感があって。
 そういう中で、それでもジャニーズJr.でいることを選ぶというのは、それは、一体なんなんだろう、と。そこには何があるのだろう、と。ずっとそう思っていたから。今でも多分、それはずっとそう思っているから。

 だから、続けながらもその年の12月で全部やめる、と。
 そう思っていた人がいるということは。
 それは、「救いの手」だ。私にとっては。まぎれもなく。




 「「どうやったらやめられるかな」」

 ところが。'99年、夏に嵐がやってきた(笑)
 ゴタゴタのあとの閉塞感を一網打尽にするかのごとく、「つうか嵐ってそのグループ名はなんなんだよ!」という巷の動揺を気にすることなく、「今日から嵐なんで」の一言でそれは始まってしまった。
 始まってしまったものは仕方がないが、でも「なんで?」の疑問はかなり長いことついてまわった。「なんで?」と、それは見ているこっちも、そして多分やってる本人達としても。

 「どうやったらやめられるかな」とは、つまり、「どうしよう」と同義語ではないかと、思っている。

 少しだけ広がった水槽の中、もしかしたらここで呼吸するのが少しは楽になってきていた自分、でもそれも少し苦しくなってきて、とうとうそこを出ようとしたら、ふいにまた水槽が広がった。広がりすぎてその淵がどこにあるのか見えないのに、でも水槽を取り巻く人の姿が今度はやけにはっきり見える。
 「どうしよう」の不安は、逃げ出せないことへの不安、かも、しれない。
 少しは、逃げ道を探せるようになったのに、またそれがふさがれてしまうことへの不安、とか?

 「それが今まで続けられたのは、なんだろうね?」

 なんだろうね。なんだろう。
 わかんないけど、でもやっぱりそれは、ぼんやりした水槽の中に自分の場所ができたからだと思うんだよ。
 欠けた何かはまだみつかってないかもしれないけど、でも何かが欠けたままでも、それでもよくて、責任感でもなくて、そうではなくてそこにいてもいい、自分だけの場所ができた、とか。
 なんか、そーゆーこと、とか。

 きっとずっとこれからも「なんだろう?」って、そーゆーことの積み重ねで、でも。
 でも、いつかは大丈夫な時が来るとゆーか。それは絶対に。
 最初はそうじゃなくても、でも、きっといつかは。
 いつかは必ず、次の日が来ることを怖がらなくてもすむようになる。

 あんまいいコドモじゃなかったな、と思うのならば余計。余計、ハタチ過ぎてからのほうが楽しいはずだ。ハタチ過ぎてからの方が、肩に力が入らなくなるはずだ。もっと、素直になれたりもするはずだ。

 そうだよ。二宮がハタチなんて。
 そんな、すごいこと!そんな、めでたいこと。

 ハタチをこえたら、きっともっとずっと生きやすくなる。それは絶対。
 いろんなことへの免疫もつく。もっとずっと大丈夫になる。生きていくにはここの場所だけではないと、もっと実感として思えるようになる。ここの場所だけではないと思えるし、同時に自分が伸ばした救いを求める手をつかんでくれる人がこの場所にたくさんいることも。

 「このさきは、どうなるんだろう?」

 どうなるんだろうね。想像つかないね。
 でも、きっと、絶対、そうなりたいと思っている素直な人にはなれるはずだよ。

 だって、ハタチになったんだから。ハタチって、きっとそういうことなんだから。




ハタチになる、あなたに。
おたんじょうび、おめでとう。


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