ごく個人的な話など。 私は18の時に初めて「私立の学校」というものに入った。 否、初めて、というのは語弊がある。幼稚園は私立の仏教系のところだった(だからなんだ。)とりあえず、18の時に自我を持ってから初めて私立の学校というところに足を踏み入れたわけである。 私立の学校にはずーっと憧れていた。千葉の田舎の公立の学校で、はたして東京や横浜の(←「神奈川」という意識がまだない)私立の学校というところは一体どういうものなのだろうと、ものすごく、果てしなく、夢を見ていた。 冗談みたいな話だが、本当だ。10年前は流れてくる情報の量も少なかった。 大学を受験する段階になって、国立に行く頭はなし、お願いだからと頼み込んで私立の学校に行くことを親に承諾してもらった。「浪人しない・実家から通える範囲・必ず4年で卒業する」の3条件を守ればよしとお許しが出て、ようやく入った学校だった。 そこで、初めて知ったのだ 私がものすごく、果てしなく、夢を見ていた「私立の学校」に通える人が、世の中には山のようにいるということを。 もっと正確に言うと、東京と神奈川には、山のようにいたんだ、ということを。 10年前の千葉ってわりと公立天国なところがありまして。中学から私立に行くというのは少数派の部類だったと思います。10年以上前の話ですが。そういう土地柄で、疑いもなく公立に通い続けていた私にとって、「私立の学校に、中学校はおろか、小学校から行ける人が世の中にはこんなに棲息している!」というのは、とてつもないカルチャーショックでした。 すでに異文化体験。ここは絶対異国。私の知ってる日本じゃないわ!と。 さらに。語学の授業で発覚したことには、私立の学校に行っていた人達と、千葉の公立に行っていた私とでは、どうも高校3年間の授業のカリキュラムが大幅に違っていたらしい。 フランス語の講師が聞くわけです。 「英語、週何時間だった?」「3時間です。3年で選択授業で取ったとして5時間」 別の子に同じことを聞きます。「7時間です。3年生の時は、9時間」 わたくし、その瞬間まで、日本の高校に通う学生は同じ教科なら同じ時間数を習っているものだとばっかり思っておりました。ちがうのかよ!なんだよ!早く言えよ!そんなに時間数違うのかよ、そんなのと同じ土俵で受験しろってそれムリじゃねーか!? ぽかーん、な状態の私にそのフランス語の講師は言いましたね。 「日本は早期選抜社会だから。おまえ、がんばって勉強しろよ」 ……はい、わたくし、フランス語とか英語とか、語学は本当に、アットーテキにできませんでした。つか、なんで周りがそんなに出来るのか、不思議で不思議でしょーがなかった。でも、そんなことだったんなら私ができなくたってしょーがねーじゃねーか!と。 生涯学習の授業を担当していた講師も、やっぱり「早期選抜」の言葉を使いました。早期選抜で漏れても、まだ勉強しようと思った時に勉強する場が必要である、という話の中で。あと、これは最近知った言葉ですが「文化資本」。つまり、その子どもが生まれた家庭にどのくらいの「文化資本」(本とかパソコンとかね)があるかどうか。これが、その後にその子どもが歩む人生に大きく関わってくる。「文化資本」が高ければ、それは「早期選抜」をすでに勝ち抜いたことを意味するっつー。 でも、その生涯学習担当の講師は18歳の女の子70人くらいに向かって 「でもね、あなたたちは今ここに座っているというだけで、すでに何人もの人達を蹴落としてきているんですよ」 とも、言いました。 蹴落とす、っていう表現は少々きついかもしれないけど、言われてみればそれはまったくその通り。つまりその講師は、日本は基本的に早期選抜社会だけど、その後にもいくつもいくつも選抜があって、あなたがたはその選抜に敗れたと思っているかもしれないけど(第二次ベビーブームのピークだったので、受験は激戦だった)、実は誰かを無意識のうちに蹴落としているのですよ、その自覚を持ちなさいよ、と。そういう話を、したかったみたいです。 たとえば、早期選抜に敗れたと思っている貴女も(私も)、今何かに負けてここに座っているのだと思っている貴女も(私も)、必ず、どこかで、人を蹴落とし、何がしかに選抜されている。そういう内容のことを。 18歳の女の子たちにまず話して、そして、何を考えてほしかったのだろう、と。 もうその講師の名前もおぼえていないけど、その内容は時々反芻します。 その、18の時に私が入った私立の学校には、小学校と中学校と高校と大学がありました。小学校からまっすぐ入ってくる子は、大学の全体の1割くらいだったかな。 誰がそうか、この中の誰が小学校からまっすぐここまできてるか、は、はっきりゆって一発でわかりました。 なんだろう、なんか、空気が違ったんだよな。それは、悪い意味ではなく。 多分、言葉で言うならその1割の彼女達は早期選抜社会の勝利者であり、文化資本も絶対に高かったと思うんです。でも、全然、そーいうことを感じさせなかった。 ずっとその場所で過ごしているがゆえの。ずっとその場所で過ごしていて、そこから出なかったゆえの。それゆえの鷹揚さと、それゆえのストレートさと、それゆえの洗練と、それゆえの正直さと、それゆえのいい意味での鈍感さを持っていた。 ……と、思う。 そうなりたい、とは思わなかったけれど、憧れは持った。だから自分が不幸だとは思わなかったけど。それは、あたりまえの話として。 桜井という人は、早期選抜を確実にクリアしている。文化資本も高いだろう。 でも、それとは関係ないところで事務所に入って、そしてまさか!と思われていたデビューを「してしまった」 デビューというとりあえずはめでたい事柄を「してしまった」と思うのは、それは彼が早期選抜社会の日本でかなりいいところにいる、のが、誰の目にもあきらかだったからだ。今いいところにいれば、多分この先もいいところにいる。そういう社会の中で、それを捨てることは得策ではないように思われた。 そして。 デビューして、当然のことに彼は大学に進み、一気に「慶応ボーイ」の看板で否応なしにスポークスマン的役割をこなし、そして、この春にそこを卒業しようとしている。 彼は卒業に果てしない感慨を持っているのだろうと思う。 冬にひとりと4人で歌った曲が卒業のことを指しているのだと気づいた時は、なんというか、なんというか、なんとも言えなかった(笑) そうか、そうきたか、と。 歩き出す両方、ペンの指す方向 慶応の校章は、ペンが2本交わる形をしている。 6、3、3、4で16年。 振り返ってみると、いやに短期間だった 16年。長いけど、多分、短い。 大学を卒業する時、先生達は口を揃えて「いつでも帰っていらっしゃい」と言った。 みなさんはファミリーです、と。 その言葉の受け止め方は、16年そこに通い続けた1割の人達に、どんなふうに響いていたんだろう。感慨はきっと全然違うんだろう。でも、そこまでしか想像できない。違うんだろう、と、そこまでしか。 一発でわかるんだろうなぁ、と、思う。 彼がもし学内にいたら。あぁ、下からまっすぐ来てる人だって、それは多分彼が桜井翔を職業にしていなかったとしても、きっとすぐわかるんだと思う。 それゆえの鷹揚さと、それゆえのストレートさと、それゆえの洗練と、それゆえの正直さと、それゆえの鈍感さを持っていると思う。彼も。 そういう、桜井翔にとっての卒業に対する感慨というのは。 大阪で、一度。彼は歌いながら気持ちが高揚したのか、座り込んで熱唱を始めたことがあった。 おいおい、なんでそんな熱入ってんねん、と笑いながら双眼鏡を覗いてみた。 この一年、これが最後の最後と思いながらやってきた しゃがみこんで歌いながら。 ……ちょっと、うるっとしてたのかな。泣き出すまではいかなくても。 せめてあとちょっとバカやってたいんだ、この雪溶けるまで 16年分の、感慨。 次の曲。5人で歌う。 出てきた時、翔くんのまわりの空気がちょっと優しかった。 敬礼し始めたのが、ちょうどこの時。 ちょっとうるっときたその感じ、照れてごまかすみたいに。 16年分のその感慨を、とりあえず正面から受け止めてくれる人が、それとは関係ない世界にちゃんと存在しているって。それは、ちょっと、すごいぞ。 彼はデビュー「してしまった」 それは、この表現で間違いないと思う。 でもさ。でも、でも。 早期選抜をクリアした人はたくさんいる。文化資本の高い家に生まれた人もたくさん。 そして、下からまっすぐ慶応で「慶応ボーイ」って呼ばれて、そのあとそれらしい人生を送る人も、よく考えたら結構たくさんいるわけで。 でもさ。 でも、嵐になれるのは、世界で5人だけしかいないじゃん。 早期選抜をクリアして、それなりの位置で人生を最後まで送るのと。 世界で5人だけの嵐になるのと。 ……そしたら、私も、後者をとるかな。 だって世界で5人だよ。そっちのがいいじゃん。 だから、多分。デビュー「してしまった」彼の選択はきっと間違ってはいないのだ。 だって、世界で5人だけ。 しかも、その人達はちゃんと彼の16年分の感慨を受け止めて、照れてごまかす彼のまわりでふわりふわりと笑っている。 この雪溶けるまで、溶けるまでは そしてこの雪が溶けたあとも。 16年分の感慨と、16年先の未来を、この雪が溶けたあとの貴方に。 おたんじょうび、おめでとう。 |
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