怖いんじゃないのかな、と。
 実は、そう思った。

 West Side Storyの初見、幕が開いてまだ片手分の公演も終わってないくらいの頃。
 トニーの最初のソロ、Something's Comingを聴いた時に「そういえばトニーは最初の2曲が難しいんだ…!」と、わかってたはずのことを思い出して一瞬息止まった。Mariaの心配ばっかりしてたから、そうだその前にSomething's Comingだったんだ、どどどどうしよう、どうしようったってもう曲始まってるし!
 …みたいな。

 最初の2曲、Something's ComingとMaria、ここまででほんとに死にそうになった。
 だからTonightでマリアが歌いだした時は心底ほっとした。マ、マリアに任せておけば大丈夫、なんとかなるわ…と。
 で、そのTonight。
 これが、よかった。
 Tonightは、ほんとに、よかった。
 マリアは勿論、そして直前まで私を倒れそうにさせていたトニーが、Tonightになった途端。なにがどう違う、っていうわけでもなかったんだけど。
 最後の♪おーやーすーみー、夢の中でー、会おうー、が、すっごく、よかった。
 伸ばした手と手が、ほんとに、絵に描いたようなトニーとマリアで、それで。

 それで、ちょっと、ほろっとした。

 決闘前のTonight五重唱もよかった。気の入り方とか、人物の関係性の作り方とかがすごくよかった。
 その場面で、急に。
 あの、真ん中でめいっぱい腕を広げて立っているトニーを見た時に

 ほんとは、すっごく怖いんじゃないのかな

 と、唐突に思った。

 この中で真ん中に立たなきゃいけないのって。
 すごく、怖いんじゃないのかな。
 WSSのど真ん中って。
 キャリアも技量も追いつかないのは、本人が一番よくわかってるはずだ。
 それでも。

 それでも逃げなかったんだ、と思ったら、またちょっとほろっとした。

 逃げないのなんかあたりまえ、かもしれないけど。でも、私逃げちゃった人見たことある。
 その人は確かに舞台の上には立ってたけど、でも、完全に逃げちゃってた。そんな人、後にも先にも1人だけだけど(笑)
 舞台の上に立っていても、逃げることって、実は、できる。

 でも、
 とりあえず、この人は、逃げてない。そう思ったら、ほろっとした。

 正直、できてないと言うしかない歌だったと思う。
 でも、この人逃げなかった。
 逃げないで、ちゃんとトニーになってた。

 100回の練習より1回の本番。
 回を追うごとに歌は歌になっていって、最後に聴いたSomething's Comingは、最初とは比べ物にならないくらい。

 よくやった、って、言ってあげたかった。
 そんな感想はイラナイって話かもしれないけど。





 初回からちゃんとしたものを見せられないとプロじゃない、とか。
 技量技術の問題とか。
 そういう話があるわけで。

 ただ、やっぱり、私は別にプロを見に行ってるわけじゃないし、プロを見に行く気もないわけで。それは向上心とかそういうものとは別の話で、ほんとに、ジャニーズの人って基本的にプロではないんだと思う。
 そういう意味のプロで食ってるわけではなく。
 じゃぁ何で食ってるのかって。

 それは、「自分」で、食ってるわけで。
 ただ、自分の身ひとつで、食ってるわけで。
 アイドルってたぶん、役割より前に「自分」であることを要求される珍しい職種だ。(と、思う。)

 人って、役割をこなさないと認められない部分があるでしょう。
 妻なら妻の役割、夫なら夫の役割、コドモにはコドモの、親には親の。妻は妻の役を果たして初めて家の中で人として認められ、コドモはコドモの役割を果たして初めてコドモとして家の中で存在を許される。
 学校でもそう。クラス内の自分の求められるキャラクターとか、求められる生徒像とか、そういうものを果たさないといけないし、会社では勿論。
 そしてそれは友達といても、誰か好きな人といても同じことで、求められる何かを演じて初めてそこで「人」として認定される感じ。

 そう考えるのは私個人の人間関係がすごく貧しいからかもしれなくて、
 でも、究極人間関係ってそういうことでしかないんじゃないかとも思ってる。

 そういうことでしかない、と思うけど。
 そうじゃなかったら、もっと楽に呼吸ができるはずで。だからそうじゃなかったらいいなぁ、とも、思ってるわけで。
 ただ、自分が自分でいることを許容してほしい、と。
 その代わり、私はあなたがあなたでいることを許容するから、と。

 アイドル、というものと、ファン、というものの関係って、そういうことなのかな、って。
 トニー見ながらすごくそういうことを考えたの、何故か(笑)

 舞台の上のトニーと客席の自分の間に人間関係は成立してないから。
 その分、その人のことを丸ごと抱えることができる。
 自分はこうしてほしいと思ってるのにこうしてくれなかった、とか、こうしてほしいと暗に強要されてむかつく、とか、そういう関係じゃないから。ただ。
 ただ、そこに存在してくれているという、そこに意義を見出すことができる、というか。

 そしてそこに存在している人は、アイドルであるがゆえにバックグラウンドが見えるわけでしょう?売ってるのは技術でも技量でも役割でもなく、「自分」だからさ。
 たとえば、今回のWSSは最初にローソンチケットの冊子にトニー今井翼・リフ大野智・ベルナルド生田斗真と掲載までされていたのに急遽変更になったらしい、とか、冷静に考えて桜井にトニーの歌が歌えるわけねぇだろ!とか(笑)
 そういうことが、見えてるわけで。
 それはその人にとってアドバンテージなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないけど、それをアドバンテージとしてやっていくのがアイドルって職業なんじゃないのかな。

 それを見ている側の自分としては。
 その人がダメならダメでそれを肴に酒飲むし、できてれば我がことのように嬉しい。
 それじゃだめなのかもしれないけど、そうじゃなければ金なんか落とさない。
 だって、基本的に、そこに存在しているその事実に感謝も感動もしてるわけだから。

 桜井トニーって、そういう存在だった。
 私にとっては。





 結論的には。
 ……いいトニーだったなぁ、と。
 時々、ふっと、思い出している。


 あぁ、でもトニー見ながら、この人嵐でよかったなぁとも思った。
 嵐は帰るところ感が強い。ちゃんと待っててくれる感じ。それは甘えではなく。

 ま、とりあえず。

 トニー、おつかれさまでした。
 いろんなものひっくるめて、いいトニーだった。
 見に行って、自分がまさか泣くとは思ってなかった。
 ちゃんとトニーとして真ん中で踏ん張ってたこと、涙出ました。ほんとに。

 いいもの、見ました。
 ありがとう。





HAPPY BIRTHDAY !
Fortune favors the brave.


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