Merry Christmas!


 Merry Christmas、こと、相葉ちゃんのお誕生日です。
 12月24日は「クリスマス」じゃなくて、「相葉ちゃんの誕生日」なんだそうです(笑)
 ちょうど1年前の今日、相葉ちゃんは名古屋で「ビバアラシ!」と叫んでいました。

 あれから丸1年たってるんですが、今でもフツーに思い出したりとかします。妙に鮮明。いや、もじもじくんは逆にあんまり思い出さないんだけど(笑)。なんだろ、なんか、顔、とかですね。表情、とか。そーいうのを、思い出したりとか、します。
 1部でもさんざんお祝いして、2部でまたケーキが出てきた時の顔、とかね。なんかね、相葉ちゃんが「なんだよ!」って顔をしてたこととか。「なんだよ!まだあんのかよ!」みたいな。言葉悪くてあれなんですけど;ニュアンスとしては「なんだよ!」っていう。そういう、表情。つっついたらまた泣きそうな、「なんだよもう!」っていう、そういう、顔、でした。そういう顔の相葉ちゃんを見て、「してやったり」みたいな顔をしてるんです、ケーキ持って来る側の人たちはね(笑)
 あとは、最後に挨拶してる時にね、相葉ちゃん最後でさ。客席にむかって挨拶した後、くるっといきなり振り返ってね、相葉ちゃん客席に背を向ける形になって。この時の、ケーキ持って来る側だった人達の、ものすごびっくりした顔とか。もう本当に、びっくりしてみんな目が丸くなってて。そこへ「サクライショウ!」みたいに1人ずつ相葉ちゃんが名前絶叫し始めて、それがわかった時の顔。名前を呼んでくれてるんだと、それがわかって、ぱっと笑顔になってく瞬間、とか。
 そんで「ビバアラシ!」って絶叫してる相葉ちゃんのまわりに、自然にわーっとみんなが集まっていって、みんなでハイタッチするみたいに両手あげてたこととか。

 うれしい、とか、しあわせ、だとか、そういう感じをぎゅっと凝縮したみたいな。なんでしょ、うーん、「宝」みたいな感じね。相葉ちゃんて、わかんないけど、「宝」だなーと思うことが、ある。



 そんで、年あけてしばらくして病気もして。今年は。
 あんまそーゆーことしゃべりたくないだろうなーと思うんだけど、時期的な都合上、ビデオの方でその時の感じとか、いろいろ、しゃべっていて。で、あと、肩の痣のこととかも、全部開くのにえらい苦労する(笑)かの写真集でしゃべっていたりとかもして。
 あんまり、相葉ちゃんって自分の内面とかを話すことが少ないと思うんですよ。周りに比べてね。たのしかった、とか、おもしろかった、とかは話すけど、くやしかったり、悲しかったり、寂しかったりしたことって話さないよね、基本的には。
 それが、今年は色々あって、ちょっとずつそれをしゃべるようになったというか、しゃべらざるを得ないようになったというか。そーゆーことを聞かせてもらえるのは、すごく、うれしい、…うーんうれしい、というのはちょっとヘンだけど、でも、すごく嬉しいと思うことではあって。でも。

 なんとなく、ですけども。極私的な感じとしては、なんか、相葉ちゃんが自分から「これは聞いてほしい!」と思うこと以外には、耳を塞いでいてもいいかな、と思ったりもします。耳を塞ぐというか、聞かなかったことにしておこうというか。
 相葉ちゃんだけですねぇ、そんなふうに思うのは。なんか、松本とかにはもう「さーしゃべれ、全部しゃべれ、しゃべってしまえー!」って呪ってることとかあるし(爆)、二宮には「よし、その調子でしゃべっておしまいなさい!」って拳振り上げて応援してる感じだし、智さんにも「まだ話せることあるだろう!」って呪文を唱えているし、桜井に至っては「あんたにはまだしゃべってもらわないといけないことがある」っておどしをかけたいぐらいなんですが(笑)
 こと、相葉ちゃんに関しては、そっとしておいてあげたいというか(笑)
 なんか、あの人の中で「よし!」とオッケーできることだけを、外に出せるような環境をつくってあげたいというか。たのしいことや、おもしろいことを選んでしゃべっているのなら、それ以外のことは自分の中で処理したいというのなら、なんというか、それを通させてあげたいと、思ったりすることが、あります。
 なんでしょーか。やっぱり、「宝」だと思ってるからでしょーか。



 あきらかに具合悪そうな時とかね、ありますよね。「あーまた熱出してるな」みたいなね(笑)
 今年の夏とかね、も、背中にテーピング貼りまくりで、えらいことになってる感じでした。後半になるにつれてテーピングは消えていったので、良かったんですけども。
 夏の初日大阪あたりとかね、具合悪そーな感じでね、とうとうMC中引っ込みましたですよ、一度。相葉ちゃんが引っ込んだ時、二宮は
「もう帰って来ねぇんじゃねーの?」
って言いましたですよ。つまり、「もうMC帰ってこなくていいから休んでろ」って話ですよ。
 状況も事情も全然わかんないけど。なんか、「覚悟」みたいなものがあるような気がしたというか。とにかく、MCで引っ込むぐらい具合悪いのは了承済みというか、何がおこっても周りは慌てない、何がおこっても周りでなんとかしてみせる、っていう、そういう、覚悟。

 一瞬、ざわっとしました。自分の中で。相葉ちゃんが引っ込んだその時。「帰って来ねぇ」と軽く言ったその言葉が、果てしなく重いフォローのように聞こえた時、その一瞬だけ、ざわっとしました。

 でもねぇ。しばらくしたら、相葉ちゃん、なんでもなかったようにケロっとしてMCに帰ってきてしまいました(笑)。まるで、なんでもなかったように。
 なんでもなかったように戻ってきて、たのしいことや、おもしろいことを、話していました。
 寂しいことやつらいことやくやしかったことではなくて。たのしいことや、おもしろかったことを。



 心配するのはやめよう、と。
 そう、思ったのはその時です。
 具合悪そうなことにも、背中のテーピングにも、全部目をつぶっていたい。
 けろっとしてMCに戻ってくることを本人が望むなら、どんな状態だろうがとにかく笑ってステージの上に立っていられるのなら、笑ってそこに立っていることを望むなら、だったら。だったら、もう、心配するのはやめよう。実際笑って立っているのだから。だったら、もう、心配しない。あたりまえだけど、当人は心配されることは望んでいない。
 だったら全部、目をつぶっていよう、と。

 なんかね、この時はじめて「心配」って言葉の意味を考えました。
 なんだろうね、「心配する」という動詞はね(笑)
 「心配する」ことよりも「大丈夫だ」と思うことの方が大変だったりとかするのね。

 でもとにかく、「心配」ではないな、とは、思った。ここで「心配」という単語を使っちゃだめだな、と。
 そこに笑って立っているのならば、だったら、それを通してあげたい。
 他のことには全部目をつぶって、笑って立っていること、それだけが事実である、と。
 それがいちばんいいことのような気がした、極私的には。そう思えることが、何かの力になるんじゃないか、とも。そこに貴方が笑って立っていること、それが一番大事。多分もうそれだけでいい。

 だから心配はしない。多分それがいちばんいいことなんだと、そう、思えるようになった。
 そうあることを望むなら、それを最大限通してあげたいと思う。
 そういうふうに、好きだなぁと思っているのかもしれない。私は。




 おたんじょうび おめでとう。

 相葉ちゃんが生まれたのは、世間的にやたらめでたいクリスマスイブのその日でもあります。が。
 今日はクリスマスじゃなくて、「相葉ちゃんの誕生日」ですから(笑)
 まずは、「おたんじょうび おめでとう」
 それから、「Merry Christmas!」
 たくさんの祝福とまっすぐな未来を、この日を逃さず生まれてきた貴方に!