優雅で感傷的なKYO TO KYO
祝・智さんのお誕生日ということで。KTKの話でも、と思ったのですが。
私にとってKTKって、「いや、おもしろかったんだよ」で終わっちゃうものでして(笑)
おもしろかったんです。すごく。
初めてシアター1200に行って、初めてKTKを見た97年の秋。
「・・・私がジャニーズで見たかったものってこれなんだ・・・」
って思ったんです。本当。
私が見たかったものすべてがつめこまれていた、
と、言っても過言ではない。ハズ。
今でも時々見たくなる。
あの、祇園祭りのオープニング。ぱっと照明が入るあの瞬間。
あれを味わうために京都に通っていたのかもしれないって思うほど。
大野智がとうとう東バージョン千年メドレーをメインで踊った最初の回、
たまたま私は客席にいました。
智の後から出てくる関ジャニのコの衣装がいつもと違ったので、
一瞬「おや?」と思ったものの、流れるイントロはいつものやつだったので。
「じゃぁ『十六夜』でもやるんかな・・・」とぼんやり思った。
・・・そうしたら。
あの、聞き間違えようがない千年メドレーのイントロが流れてきて。
その瞬間、客席の空気がさわっ、と揺れたのを忘れない。
確かにあの時客席の大多数は「あっ!」と声にならない悲鳴をあげて。
その後、体勢が思いっきり前のめりになっていたのだから(笑)
至福の京都をすごしながら、どこかで私は残念がっていた。
智や他のみんなが、京都に行きっぱなしになっていることに。
どうして両立ってのはできないのかなぁ、そりゃムリか・・・と思いながら。
京都に行った時点で、智にデビューはないと思っていた。
それまでは、「もしかしたら」の枠に入っていたけれど、
京都に行った時点でもうデビューはないなと思っていた。
それならそれで、智が生きていく道をつくってあげたいと思っていた。
智だけじゃない。多分、デビューはもうできないけどでも、
ジュニアが楽しくて、踊るのが好きで残っているたくさんのあのコたちにも。
結局、智はデビューしたけれど。
でも、彼がつくってきた道は絶対に今後のためになる。
デビューしなくてもジャニーズという組織に所属していける道。
ショーを仕事にできる道。
KTKはもうないけれど、でも、KTKがその第1段階だったと思っている。
失敗だったとは言わせない。
だって、あんなにも楽しかった。
KTKには、幸せがつまっていた。
デビューに関して、大野本人がどう考えていたのかはわからない。
踊る仕事をしてほしいと考えるファンが多いというのもわかる気がする。
でも、だけど、私は大野智が嵐にいることを圧倒的に支持する。
嵐である彼の前途が洋々であることを疑わない。
なぜならば、こと歌と踊りに関して、私は大野智に裏切られたことはない。
彼の繰り出すものが、良くなかったことはない。
大野智がいる限り、嵐の前途が洋々であることを私は信じる。
少なくとも私は、そう、信じている。【1999.11.26 ハッピーバースデー!】