いきてゆくちから
去年の夏は暑かった。 去年の夏はコンサートをやることが、春の時点で決まっていた。その前に、ビデオコンサートという『とりあえず台風ジェネレーションのCDを買って暑い中待たされるのを覚悟さえすればほぼ入場可能』という、イベントをやっていた。誰が来るのかは当日までわからない、ということであったが、まぁ別に誰が来ても良かろう、ってんで私は渋谷で行われたそれを見た。 メンバーは、桜井二宮松本。当時前髪メッシュちゃんだった坊ちゃんは、まぁふつーにイベントをこなしていた(いるように見えた。)途中記者会見が入った時、マイクを取りに来てくれたスタッフがニノと翔くんのマイクは持って行ってくれたのだが何故か松潤のマイクだけは持って行ってくれず(笑)(真ん中にいたので忘れられたらしい)、しょうがないので奴はマイクをズボンの後ろのポケットにねじこんだりしていて、そんなところがいかにも松本潤だと思いながら私はわりとフツーに見ていた。 次の日は行かないつもりだったが、たまたま後の方の時間の整理券が1枚あまるんだけど、との連絡を現地から受け(笑)飛んで行った。メンバーは、桜井相葉松本。 ……この夏、私が「あれ?」と思ったのは、この日が最初だった。 長い長い夏の始まりだった。 松潤はその日、やたらと背中をかいていた。左手でマイクを持って、しゃべっている人の話を聞きながらも右手で背中に触れている。それも服の上からじゃなくて、うしろ手に服の下から手を入れて直接、だったのである。それを見ながら同行者が「ブラでもずれたんじゃないの?」と言ったが、まさにそんな感じだったのだ。あまりにも言い得て妙なその表現に爆笑しながら、でもなんかヘンだなと頭のどこかで思った。後で思い出したことだが、この時彼はあまり、客席の方に体を向けていなかったのだ。服の下から手を入れて背中をかいている、とわかったのは、彼が横ばかりを向いていたからなのだ、つまりは。 さらにやっぱりヘンだと思ったのはビデオコンサート終了間際である。彼は、なんと3人の中で一番先にソデに引っ込んでしまったのだ。 あの!松本潤が、である。あの!松本潤が客席にろくに手もふらずにとっとと引っ込んでしまったのである。 「…ふぇっ!?」とか思いつつも、「やっぱブラずれちゃったから…」とか「昨日もやって今日もやって、今日終わりの方の回だし疲れちゃったんじゃないの?暑いし」とか、「あの人絶対暑いのだめだよね、夏生まれだけど」などと同行者と言い合って終わりにしていた。 だが。 よく考えれば、疲れている、という理由で彼が無口になることはあっても、疲れている、という理由で彼が手をふるのを休んだことなどないのだ。 自他ともに認める、という言い方が正しいのかどうかわからないが、彼が仕事人間であることには多分間違いはないと思う。手をふる、というのはそんな彼の大事な大事な仕事のひとつだ。それを放棄するなんて、そんなことあるはずがないのだ。あるはずが、なかったのだ。 だが、その時はそこまで考えなかった。「やっぱサイズ合わないブラつけてるから」そんなふうに笑って終わりにしていた。 夏はこれから、のはずだった。 去年の夏コンは名古屋から始まった。妙なまでに悪い評判だけが目立つようなコンサートだったが、私的にはな〜んの問題もなかった。 初日初回は相葉のパレオと君を旅して知っているに圧倒され、ソロで踊る松本に浮かれ、桜井のソロで二宮松本がバックにつくに至っては至福の一言であった(←バックダンス好き。) が。 ……「お?」と思ったのは、とにかくその場の空気が緊迫していたことだ。それは「張り詰めた空気」という表現で間違いないと思う。だが、私は不思議とそれで雰囲気が悪いとは思わなかった。逆に、花道上でのメンバー同士の接触(特に松潤と誰か、という図)がやたらと多いなぁと思っていた。歩きながらちょっとしゃべる、とか、なんでもないところですれ違いざまぽんと肩を叩く、とか。 こんなに空気は緊迫していて、でも花道上での接触は妙に多くて、MCはいまいちオチが決まらなくて、「…なんだろう、みんな初日だから緊張してんのか?」と。そう思いつつの終盤、本編ラストにA・RA・SHIのバラードバージョンが流れる中、1人ずつのシメの挨拶も終了し、5人がメインステージ上に横一列で並んだ。 横一列で並んだ直後、松潤は何か言おうとしてマイクを口元に持っていった。でも、そのまま何も言わずにうつむいてマイクをおろした。 みんな、まっすぐ前をむいていた。厳しい顔だった。 松潤も、まっすぐ前をむいた。自分で自覚しているかどうかは定かではなかったが、多分彼は泣いていた。まっすぐ前をむいたまま、多分、彼は泣いていた。 ……見ていた私としては、一言で言って「なに!?」である。 「なに、なんなの、なんかあった!?」初日で緊張してたのが終わってほっとしたのかな、とも思ったが、それにしては顔が険しすぎた。空気が緊迫しすぎていた。何らかの事情で何かがうまくいってないの?とも考えたが、それにしては花道上での平和な接触が多すぎた。「???」を抱えたまま、客電が消えっぱなしでアンコールに中々出てこない5人を待ちながら、「もしかしたら出てこないかも」と半分本気でそう思った。 長い長い「アンコール!」、ようやく出てきた時は、みんな笑顔だった。 松潤も含め、みんなめちゃめちゃ笑顔だった。 暑い暑い夏は、もう始まっていた。 名古屋からの帰りの新幹線で、今日こうだったあぁだったと同行者と話しながら、「でもどっかおかしい」とやっぱり頭のどこかで思った。ただその疑問は「???」が多すぎて、口に出して「どうだろう?」と言えるたぐいのものでもなかった。あまりにもいろんなことが自分の中で漠然としていた。名古屋2部のアンコール、花道せり出しステージの端っこにちょこんと座って、ふわふわと笑っていた松潤の姿を思い出すにつけ、「やっぱどっかヘンだ」と思わずにはいられなかった。彼は、この時も、手はふっていなかった。いや、ふってはいた、ふってはいたが、それはいつもみたいにふるのではなくて、ただ顔の横でゆらゆらとふっていた。ふわふわした笑顔と、ゆらゆらした手のふり方は、それはどこかの絵のようにキレイな光景ではあったけれど、でもそれはやっぱりどこかが違った。なにかが、違った。 ……思い当たったのは、わりと、唐突にだ。 「ねぇ、もしかして、あの人調子悪いんじゃないの…?」 名古屋の翌日は福岡でコンサートがあった。私はこれには行っていないが、あまりにーも気になって福岡を見て帰ってきた方に深夜近くに電話をした。名古屋よりは元気に見えた、こと。内容は細かい変更が入って確実によくなっていること。 それから、松潤は太腿にサポーターを巻いていて、どうやら怪我をしているらしいこと。 怪我をしているから、調子が悪いのだとは思えなかった。(その方もやっぱりそう言っていた。) 松潤という人は、怪我をしていたら、怪我をしている方の足を高く高く上げてみせる人のはずだ。そんなことで調子が悪くなる人ではない。そうではなくて、じゃぁ。じゃぁ、……もし、ずっと調子が悪かったのだとしたら?あの、ブラがずれたんじゃないの?って言っていた時も。あの時からずっと調子が悪いままだったのだとしたら?いつ怪我したのかは知らないけれど、調子が悪いから怪我までしてしまったのだとしたら? すべては憶測にしかすぎないけれど、憶測にしては説得力があるように思えた。自分で憶測しておいてなんだが(笑)でもそう思えた。そして、やっぱり唐突にあるひとつのことを思い出した。 名古屋の初日初回、松潤はMCでほっとんど発言していない。確かビタミンだかなんだかの話題でちょこっと、一言二言しゃべっただけのはずだ。「松潤しゃべってー」の声も飛んでいたような気がする。普通なら、「○○くんしゃべってー」の声が聞こえるか聞こえないかの段階で、二宮がまさにその「○○くん」にするりと話題を振っているはずなのだ(そのへん、二宮がMCの天才な所以である。)でも、この時、二宮はあきらかにしゃべっていない松潤に話を振りはしなかった。オチにも使おうとはしなかった。それはなぜか?それは、松潤がろくにしゃべれないくらい、調子が悪いのだと二宮が判断したからではないのか?(後日談になってしまうが、その後横アリで行われた松本潤大ハッピーバースデーイブ大会(大会か!)の時、二宮は亀5匹を渡す前に「松本さん最近メシ食えてないってことで」亀のエサ(しかもカルシウム配合)をプレゼントしているのだ。亀のエサはともかく、「メシ食えてないってことで」の一言は案外真実をついていそうだと思った、、、。) 二宮はMCで松潤に振らなかったし、振れなかったんじゃないかと思う。そのくらい、彼の調子が悪いことは確実で、それをステージ上の全員が承知しているからこそ私の目には「やたらと接触が多いように見えた」のかもしれない。その接触の多さは、こう言ってしまうと非常に平坦に聞こえるが、でもそれは気遣いに他ならないんじゃないかと思った。 ヘンな言い方かもしれないが。松潤は、この時、確かに、大事にされていた。みんなから。少なくとも、どうやらずっと調子が悪い松潤のことを、みんなちゃんと気にかけているように見えた。キミがみんなを愛するように、みんなもキミを愛していると、そのくらいは信じていてほしいと、去年の同じ頃に私がそう書いた下敷きになった出来事がこれだ。憶測にしかすぎないけれど、でも結成後のわりと早い段階で大野智が「嵐はみんな優しい」と発言していた、その意味がなんとなくわかったような気がしたのだ。 福岡の次は大阪だった。松潤は、この大阪から腕時計をつけて臨んだ。あまりに長いコンサート、さすがにマズイと思ったのかどうなのか、時々時計をちらりと見て時間を確認するような仕草を見せた。仕事人だなぁぁぁぁ、と思った。同時に、ちょっと大丈夫になってきたのかな、とも思った。 大阪は、始まった瞬間に「いけるかも」と実は思った。なんというのか、名古屋で感じたあまりにも緊迫した空気が払拭されていた。払拭というと誤解のある書き方だが、私はその「緊迫感」も大好きだ。そのくらいの気持ちがある方がむしろ好きだ。だからこそ、それが払拭された感じも好きだ。 大阪のオープニングは、本人達が緊迫感から解放されて、ダッシュしていくような勢いが目に見えるみたいで嬉しかった。コンサートが進んでいくにつれて、もう大丈夫だな、と思えた。少なくとも松潤はにこにこと笑っていて、名古屋で見たふわふわした笑顔ではなかったから。ふわふわした笑顔も貴重だったんだが、と思えるようになった私自身にしても「大丈夫」になっていたってことだろう。アンコール台風ジェネレーション、桜井が「大阪楽しかった!サンキュー大阪!」と叫んだ。「楽しかった」の言葉に、いっぱいいろんな感情がつめこまれてるようでなんだか泣けた。大阪は、確かに、「楽しかった!」 大阪をすぎると、暑い夏はもうピークを越えていた。 長かったはずの夏は、あっというまに終わろうとしていた。 夏の最後は横浜だった。このことは去年も書いて、さらにレポートの方にも大バースデーイブのことは載せているので、それ以上もう書くこともないのだが。16歳の最後の日を幸せに幸せに過ごした彼は、17歳の最後の日も幸せに幸せに過ごしていたのだろうか。 去年の夏、夏コンを見ながら思っていたことは、ステージに立つことが少しでも彼の力になっているのだろうか、ということである。名古屋の1部が終わった時に泣いていた彼は、2部ではもう泣いてなかった。ふわふわと笑い、そしてステージに立ち続けるうちににこにこと笑えるようになっていった。要因はいろいろあるんだろうが、でもずっと調子悪い状態から抜け出した理由のひとつに、ステージに立つこと、が含まれていたらいいなと思う。 時々考える。ファンってなんだろう?ってことである。 ファン、という存在には「ファン」という名前こそついているけれど、でも実際よくわからない。私は別に松本潤の生活に介在しない。彼の日常に参加していない。彼の「声」を聞いたこともなければ、彼の思考もわからない。実際にどのような形をしているのか、本当のところはよくわからない。 だが、私の日常には確実に松本潤が存在する。それは主に自分のためであって、そして自分のためでしかない。私が松本潤及び嵐に関わる様々なことで金を使っているのはほぼ100%自分のため、である。自分のためでしかないだろう、と思っている。だから「応援している」と思ったことは実は一度もない。何を指して「応援している」と言えるのか、正直よくわからない。 だけど、名古屋の1部で泣いた松潤が2部でふわふわと笑っているのを見た時に、ステージをこなすうちにどんどん元気になっていくのを見た時に、もし、ステージに立つことが彼の力になっているのなら、私がここに金を使う意味ってあるのかもな、と思った。そう、初めて思った。ステージに立つことが彼の力になるのなら、彼が生きていくための力になるのなら、だったらそのステージのために私が金を落とすことは、もしかしたら少しは彼のためになっている。もしかしたら、少しは彼の力のためになっている、の、かも、しれない。 基本的に私の人生には「関係がない」はずの松本潤という人が、何故か私の日常に存在している。はじめちゃんのセリフではないが、「俺は関係ないかもしれないけど」っていうやつだ。 私は、関係ないかもしれないけど。 松潤がどういう人生を過ごそうと、私は、関係ないかもしれないけど。だけど。 笑っていてくれたらいいと思う。 少しでもつらいことが少ないといいと思う。 願ったことはすべて叶えられたらいいと思う。 「自分で納得がいくいかないに関係なく、キミがそこにいれば松本潤でしかない。見ている人が『コイツは松本潤じゃない』と思うことはまずないだろう」 人生をかけた3ヶ月をすごしている金田一一さんに内藤さんが送った言葉は、そのまま松本潤にもあてはまる。理想を高く高く持ってしまってそれに少しでも届くよう手を伸ばしすぎてしまうこの人に。 その手を下げろとは言えない。だから、少しでもその手が理想に届くように。届く過程も、楽しめるように。何もしない1日があっても、それも理想に届くまでの過程のひとつだと思えるように。 16歳の最後の日が幸せだった貴方に。 17歳の最後の日も、そして18歳の最初の日も幸せであることを祈ります。 これでようやく全員18歳を越えたから、夜中のラジオも5人でできるね! 多分私は、貴方が18歳になってくれてそれがいちばん嬉しいです。 人生賭けてる真っ最中の松本潤様。 お誕生日、おめでとう。おめでとうおめでとう!! |