天国の門 



 たとえば二宮和也は、自分は天国には行けないと、そんなふうに思ったことがないだろうか。
 …この場合の「天国」とは宗教的な意味合いではなく。ただ、子供が思い描くようなものとして。ただ漠然と、そんなふうに思ったことはないだろうか。地獄に落ちるほどではなくても、でも天国にも行けやしないと、そんなふうに思ったことはないだろうか。あくまでも「なんとなく」のイメージでしかないけれど。達観してるようで妙にコドモで、でもやっぱり達観してる二宮の人生観の中に、「天国」の文字は入っていないような気がする。だからどうだというわけじゃないけれど、でも、つまりそういう感じの人なんじゃないかって、ふと思うことがある。



 【杭】
 こと仕事に関して、二宮はジュニア時代ずっと「やる気なしキャラ」で売ってきた。必要以上に目立つような言動をせず、その場にしゃべったり動いたりするタイプの人間がいれば、「俺はじゃぁいいや」というような感じであった…と、本人も嵐になってから発言している。「自分の他にやる奴がいれば、別に自分はやらなくてもいい」というのが基本スタンスであったことは多分正しいだろう。でも。その「やる気なし」のわりに、二宮が「デキる奴」であることは誰の目にも明白であったように思う。二宮は「デキる奴」でありながら、特にそれをアピールするようなところはなかった。つまりそれは、「出ない杭」であった、ということなんじゃないかなぁと、私などは思うのである。「出る杭は打たれる」のだ。だが、二宮はその昔「出ない杭」であった。打たれそうになると、ひょいっと自ら引っ込む杭。それゆえに打たれない杭。そんな感じではなかったか、と。
 ところが。嵐がスタートした直後、二宮はものすごい勢いで「打たれる杭」になってしまった。今思い返してみても、あれはなんだったのかよくわからない。わからないけど、いやという程二宮は叩かれていた。「出ない杭」であった二宮が、である。嵐になって、多少は「出る」ようになっていたとはいえ、それが早々目についたとも思えない。では、なぜ。どうして、あんなにも奴は叩かれていたのだろうか。
 人が人を嫌う理由は色々ある。人が人を嫌う、その一つ一つの事例に別な理由があるといっていい。だが、ことジャニーズというものの場合、「嫌う」という理由は、ただ1つに集約されているような気がする。それはつまり「私の好きな○○くんの立場をおびやかす××くんの存在」という認識である。実際におびやかしているかどうかはあまり問題ではない。この場合問題なのは「おびやかすだけの力があると認めるか認めないか」にかかってくる。そうすると、あの時期の二宮の叩かれ方は、大多数の人々に「それだけの力がある」と認識されていたことの証明なんじゃないかと思うのだ。非常に逆説的だけれど。そして、それを納得させるだけの力を持っている(つまりそうやって叩いてくる人たちをも納得させるだけの力がある)のが、二宮という人の強いところなんじゃないかと思うのだ。
 今後は二宮が出たい時に出て、出たくない時は出ないでいられる杭であればいいな、と思う。出ていても出ていなくても、その杭が力を持っていることはみんなちゃんとわかってるから。

 【鏡】
 私は最近ニノと松潤を並べて考えることを趣味にしているんだけども(笑)これは対比させると結構わかりいいのですね。ニノにとって、松潤っていうのはやっぱり「鏡」なんだと思う。自分がよくないと思ってる、自分がキライなところが映ってしまう鏡。同時に、自分がそうありたいと思って、でもそうあるわけがないと思ってあきらめてしまっていることも映し出す鏡。
 前者はさ、つまり松潤の真面目すぎるところとか、直線思考なところとか、一般に言われてる松潤の「わるいところ」ですね(笑)、これをニノもそのまま内面に持ってるんじゃないかと思うんですね、私は。ただ、ニノはそれを表に出すべきじゃないことを知っている。松潤もわかってるだろうけど、彼はそれを抑制はできないっすからね。でもニノはできる。だからこそ逆に、松潤のしでかすことに対して人一倍「あーあーあー」みたいな思いがあるんじゃないかと思う。そして人一倍それが「わかる」んだと思う。「わかる」けど、同時に「そうしたら世間一般的にはダメ」だってこともわかってしまう。
 後者は逆に、そういう「よくないところ」って、実はすごく正直な部分だったり、真摯な部分だったりするわけでね。それを正直に出せる松潤を「うらやましい」と思う部分もあると思うんですよ。ニノは「そんなわけねー」って言うかもしれないけど(笑)でも、これは絶対あると思うんだよな。例えばね、ニノって時々とんでもなくダークなこと言うでしょう?将来の不安とか。この仕事は長く続けられないと思う、とかって。でもさ、松潤なんかは、絶対死ぬまでこの世界でやってこうとか思ってるわけじゃないですか、現時点で。そんな松潤に対して「できるわけねーだろ」と思いつつ、でもそう考えられる松潤のことを「うらやましい」と思ってると思うんだよな。自分もそう思いたい、って。自分もそう思えたらどんなにいいだろう、って。そういう、自分が押さえてる願望も映し出す鏡、なんじゃないかって思うんですね。
 これはまったく松潤にもあてはまることで。奴だってこの世界でやってけるのかどうか、実は不安だらけかもしれない。その「不安」を「現実」にして映してくるのが二宮っていう鏡なんだよね。本当は、現実の世界とはこうあるべきなんじゃないだろうか、って、そこをズバリ映してくる鏡。私がこの2人を「同族嫌悪的である」と評するのはそういう点からなんです。お互いが鏡を見てるような感覚。それがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ、そんな感じがする、というだけの話なんですけどね(笑)
  あと、二宮って案外、人目を気にするんじゃないかと思うのです。人目というか、「人」を。ニノが「人への近づき方が優しい」って言われるのは、それだけ嫌われたくないって(意識的にではなくとも)心のどっかで思ってるからじゃないのかなぁって。彼の「人は人、自分は自分。だから人のことは気にしない」っていう態度は逆に、人を気にしすぎる自分をガードするためなんじゃないのかなぁ…と。
 そのへんも松潤とは鏡の関係ではないのかな…と思ったりもするわけです。松潤は最終的に「俺」を大事にしようとできるけれど、ニノは違うんじゃないかな…と。これもただ、そんな感じがする、というだけの話なんですけどね(笑)

 【未】
 大丈夫だから、今からあきらめないでほしい。…そんなふうに思ってます、二宮に対しては。
 鏡、のところでも書いた通り、彼は将来に関する不安というものを時々口にします。アイドル、という不安定なものを職業にしてる彼にとっては、至極当然なことと言えると思います。「これでこの先食っていけるか」そんなふうに思うんだろうなぁ、と思います。「今はいいけど、この先どうなるんだ」って。近い将来、例えば30歳すぎたらどうすんだ、っていう。…そりゃぁ。あたしだって、嵐がむこう60年続くとは思っちゃいません(爆笑)。3年なのか、5年なのか、10年なのか、はたまたもっと続くのか。…でもねぇ。考えたって、そんなことわかんないんですよ。でもだからって「だから今を一生懸命やる」とか、そういう思考もしてほしくないような気がします。
 なんて言うんでしょう。・・・まだ、17歳なんだよ。17歳になったばっかりなんだよ。精神年齢はもっと大人かもしれないけど、それでもまだ17歳なんだよね。17歳で、ずっとこの仕事できるかどうかって、不安になる気持ちもすごくよくわかる。けど、17歳の今の時点で「できないんだ」って、結論付けてほしくないんです、私は。もしかしたら、できるかもしれないじゃないか。17歳っていうのは、そういう夢見ててもいい歳のはずだから。もしかしたら、この先この仕事を続けていても大丈夫かもしれないじゃないか。
 いろんなことを、あきらめないでほしい。大丈夫だから、今からあきらめないでほしい。「大丈夫」なんて、すごく無責任な言い方だけど。でも、17歳っていうのは「大丈夫」な歳のはずだから。だから、今からあきらめないでほしい。…いつかは、あきらめなきゃいけない時がくるかもしれないけど。でも、そしたらその時考えればいいんだから。二宮は、どの世界でも生きていける人だから、余計色々考えちゃうのかもしれないけど。
 どの世界でも生きていける人だからこそ、どの未来でも選び取れる人だからこそ、今身をおいている世界のことを、あきらめないでほしいんです。きっと大丈夫だから。すごく無責任な言い方だけど、でも、大丈夫だと信じているから。


 『幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり』
 聖書にある非常に有名な一説です。この『心の貧しき者』の解釈は、聖書の註解書によると「物質的富は無意味であり、神がすべてであることを知った人のこと・自分の心の破産状態を知って神によりたのむ者」ということになります。
 私は別にクリスチャンじゃないので、神がすべてだとは思いません。ただ、その次の「心の破産状態を知って」というのは、なんとなくわかるような気がします。
 二宮は。自分が出ない杭であることを(あったことを)自覚しています。鏡のようなメンバーの姿を見るたびに、自分のあまりに現実的な感覚がいやになることもあるかもしれません。将来の不安ばかりを、抱えているかもしれません。
 それは、もしかしたら「貧しい」と言えるのかもしれません。そういうことを総称して「貧しい」と言うのかもしれません。でも。
 そういう人にこそ、天国の門は開かれるのだということ。それを、知っていてほしいと思うんです。こと、二宮に関しては。
 天国の門は、キミのために開かれる。だから未来も大丈夫だと信じていてほしい。絶対に大丈夫なのだと。根拠はどこにもないけれど、でも、大丈夫なのだと。

 そして、最後に。二宮和也様。
 お誕生日おめでとう!ご生誕記念に貴方のことを書こうとしたら、なんだかエライことになりました(笑)こんなに真面目に書くつもりではなかったのですが。
 どーぞこれからも、爆弾のよーな貴方でいてください。
 そして17歳のこの1年が、貴方にとって良い1年でありますよう。
 お誕生日、おめでとう。


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