確かなチカラ

 ←こんなかっこしてたことがあります大野氏は(ちと語弊アリ(笑))
 KYOTOKYO(以下KTK)の最初の年…だから97年ですね。97年の冬12月、大阪松竹座でV6版、というか坂本井ノ原岡田版『MASK』の公演がありまして、それに智は出てました。超!チョイ役チックで、ショータイムではトナカイなどにも扮するよーな、ちょっと踊りにきました、みたいなノリで。
 私は人に誘われてそれを見にゆきました。別にその時は大野目当てってわけじゃなくって、むしろ舞台の岡田というものが見てみたいとかそういう理由だったような気がするのですがまぁそれはともかく。それを、見に、行ったわけです。

 私は、一度だけ、大野智に対して「この人ミュージカルはだめかも」と、思ったことがあります。いちどだけ。
 それが、その、松竹座坂本井ノ原岡田版『MASK』を見た時なのです。
 大野にはセリフがありました。一言ゼリフ。幕開いてすぐくらいの時に、あれは公演の終わったバックステージのシーンから始まるので「お疲れ様でした」とかそーゆー流れの中の一言ゼリフだったと思います。何を言ったかは記憶にない(笑)。ただ、大野が一言言った直後、純弥(=田中純弥。じゅんや、と読みます。智がKTKをやっていた間中、ずっと一緒にやっていた(元)関西ジュニアの子です)もその流れで一言セリフを言う。そういう、シーンで。
 あのー。あの、ね。この時大野さん、一言ゼリフでしたが、それ聞いた直後の私の感想。
「一言なのに言えてへんやん!!」
…これです(爆笑)、思わずエセ関西人になってしまうくらいのイキオイでした。その後の純弥の方がよっぽどセリフ言えてた。この「言えてた」っつーのは、間とかタイミングとか気持ちの入れ方とかそういう問題でね。そういう問題で、全然言えてへん!!と思ったんだ当時の私は。そして、「…この人ミュージカルはだめかも」と、思ったのです。
 KTKはミュージカルじゃなくて、あえて言葉をあてはめるとすればあれはレビューなんだと思うの。大きく言えばショーで、さらに分類するとレビュー(=ストーリー性のあるショー。)KTKは、すごく良かった。大野智は上出来だった。でも、セリフが入ると「言えてへんやん!」になってしまうというのは致命的だと思ったんだな。だから「この人だめかも」って。
 いちどだけ、な。いちどだけでした。「この人ミュージカルだめかも」って思ったのは。

 年あけて98年。再びKTK。
 昨年度とは色々形が違っていたのですが。「メイン」がね、いたんですよこの年は。「メイン」つーのは…当時普通に「メイン」て使ってたから今それを説明しようとするとムズカシイ…あの、この年は2チーム体制でその2チームが日にち交代で公演をしておりまして。で、智がいたのは原ちゃんを大将に智と純弥の計3人が中心になってるTOP-J(とっぷ・じぇー、と読む。ジェイサポートとは当然ながら無関係である(笑))っつーチームの方で。で、その中心の3人の中で誰か1人が各々の公演の「メイン」になるのね。その人がまぁ宝塚でいえばトップみたいな感じで(笑)、その回の公演をこなす、と。誰がメインかによって役どころ…っつーかポジションが違ってくるし、何のメニューを誰が担当するかっていうのも違うから、この「誰メインの回か」っていうのが当時非常に大事だったわけなのですがー。まぁ、そういうのがあって、だ。
 原ちゃんはいいわけよ。去年からずっとその年に言う「メイン」でやってたわけで。大変なのは智と純弥で、今迄やったことないことをやらないといけないっつー状況だったわけです。
 私がはじめて智のメインの回を見たのは98年6月20日です。なんでそんな正確かというと、この時の旅行メモが残っているからです(笑)(当時は今と違ってかなり色々メモを残しています(笑))智メイン回についてのメモ書きを抜粋↓

 智がメインになると、マジック→クレイジーラブ→龍退治→牛若丸→夜空ノムコウ、って全部智になる。うっしー【=牛若丸のことらしい…】の頃なんか、もう智ちゃん汗だっくだく。ラスト一言「シャワー浴びたい…」って(笑)
 マジックは金のしゃらしゃらが途中で止まるし。次の演歌に出てきた純弥が「大野くんを見てたんですけどあの人キンチョーしないんですよ。キンチョーという言葉を知らない」とかゆってたけど、どーかなー。そう見せたがってるんじゃないのかなー。だって「できない智」なんか初めて見るけど、逐一確めながらやってるっつーか。背中が必死というか。だいたいあんな汗ダクにはならないだろう単に暑いだけじゃ!びっくりした。ぐちゃぐちゃな顔した智なんて。

 まぁ、ミュージカルのセリフが「言えてへん」のはともかくとして(笑)。KTKでメインになるとマジックのシーンがあってね、それがね、智さんできなかったんだわ最初。できなくてもあたりまえっちゃあたりまえなんだけど、なんかこう「できない智」ってすごくめずらしいと思ったんだよな。この時。
 なんでも軽々やる人だと思ってて。京都に行く前も、行った後も。ワイヤーで吊るされながら歌うバラードも本当に上手で、なんでもソツなくこなす、なにやらせても上手な大野智が「できない」っていうのは。
 この次の日、「ヤングジャニーズチーム」(っていうのがあったのだ)の公演に、智がゲスト出演っぽく、その問題のマジックだけやりに出てきてまして。それを見た私のメモ↓

 智ってば働き者…。何かと思えばそりゃそーだ!のマジック要員。13時公演は最初の紫布を仮面にひっかけるところでミスって、布が下に下がっちゃって、智その布自分で踏んじゃってるしっ。その後、傘と一緒に出す時はずす紅い仮面を、前のやつはずす時に落としちゃって(顔から直接床に落ちた…)ねーさん【=ダンサーのおねーさん】必死で拾ってるしっ。金シャラはノーミスだったものの、あれってひとつミスると連鎖反応でガタガタになるから手に汗握った…。でも、果敢にも傘の1回まわしには挑戦してて、でも低位置ではキャッチできなくて、一歩踏み出してキャッチしてたのがラブリーだった。
 15時公演はほぼノーミス。なんか、最初の紫布を仮面にひっかけるのが苦手みたいだなぁ…。


 手に汗握ってたようです(笑)。でもね。そのメモ書きの最後の方に↓

 でもきっとすぐできるよーになっちゃうんだろーな(笑)

って書いてあるんだな。
 そして、それは、本当にその通りでさ。あっという間に「できる人」になってしまった智さんは、その後KTKに行くたびの私のメモ書きで一切「手に汗」握らせることもなく、その代わり「智、顔だけ太った」とか書かれていたりするのでありました(爆笑)(夏公演の『Cool』と秋公演からの千年メドレーフルバージョンについては絶賛でうまっているがな(笑))

 あけて99年。年始あけたら怒涛の毎日。
 動揺しまくりの日々の中、KTKが前年11月に終わってから行方不明(笑)だった大野智が日生劇場光一MASKにて、町田と対で踊っているという話アリ。混乱の最中、這うようにして見にゆく。あまりといえばあまりなふくふく大魔人ぶりに、同行者がそれを智と気づかない、なんてゆーウソみたいなホントの話。この時、大野智は確か踊るのみでセリフなし。アンダルシアの素晴らしさにちょっとだけ気分を浮上させて帰宅。もっと落ちついた時に見たかった…(見に行ったタイミングが、雑誌発売から解雇決定までのほんの1週間くらいの間だったんだな…。)
 5月ゴールデンウィーク、大野智モーモーつなぎ(違う)着て横アリに出現。ソロで歌ってはいるものの、「この人一体これからどうするのかしら…」と気が遠くなる。そして気づいたらミュージカルアカデミージュニア、略してMAJ、のち「みんなあきやま」(=MA)にいらっしゃる。夏、その「みんなあきやま」の皆さんでプレゾンにご出演。

 さて、プレゾンである。「ミュージカル」である。この時、役代わりで智さんに大きい役がついたこともあったんだが私はそれを見ておらず、普通の回を見たんだが。あの、セリフがね、あったんですよ。やっぱり一言二言だったんだけど。
 でもね。「言えてた」の。この時。ちゃんと。97年年末に「言えてへんやん!」と思って、「この人ミュージカルはだめかも…」って思ったけれど、99年夏には言えるようになってた。きっと、もっと早い時期に「言える」ようになっていたんだと思う。だってこの人はいつだって、
「きっとすぐできるよーになっちゃう」
人だから。

 なんでもできる人、だと思っていた。最初から。
 はじめて『ジャニーズジュニア』として『PGF』を踊ってそれが映像に残った、その時バックセンターにいた大野智はすでにもう完璧に踊れている人だった。極端に高レベルでなんでもソツなくこなす人だった。だからなんでもできる人、なんだと思っていた。京都に行ってもそれは最初変わらなくて、でも「あれ?」と思う瞬間が出てきて、そして思い当たったことは
「なんでもできる人じゃなくて、できるようになる速度が異常に速い人」
だった。それは
「なんでもすぐにできるようになってしまう人」
ってことであり、
「なんでもすぐにできるように、短期間で自分をそこまでに持っていける人」
でもあるはずだ。大野智という人は。
 大野智という人は、「なんでもできる人」じゃない。
 そうでは、ないんだ。

 2001年プレゾン、智には巨大な役がついた。
 初日あけてわりとすぐにそれを見て、「こんなにミュージカルができる人になるとは思っていなかった」と、思った。「言えてへんやん!」から、そんなに時間がたったとも思えない。すげーなぁ、と思って、東京公演が終わって、そして私は急遽的に大阪までそれを見に行った。
 …大阪の大野智は、東京で私が見たそれよりも、もっともっともっともっともーーーっと、できる人になっていた。セリフも歌も身のこなしも。なんだろう。なんだろうこの人は。よくわかんないけどとにかくすごい。
 「なんでもできる人」じゃない。そうではなくて、「なんでもできるようになる人」だから。できるように、自分をそこまでに持っていける人だから。だからプレゾンも、自分をそこまで持っていこうとして、実際短期間で持っていってしまったんだと思う。それを可能にさせる元々の技術は確かなもので、それを支えているものが努力ってことになるんだろうが。…努力だという表現は絶対にされたくないだろうなぁ(笑)。私もあまりその言葉は使いたくないな。
 飄々としていて、キンチョーなんか全然してるように見えなくて、なんでもあっさりできるようになっちゃう。それが、きっと大野が大野である、ということなんじゃないのかな。努力は見せたくないとか、そういうわけでもない。がむしゃらさが目に見えるわけでもない。でも、この人が自分にめちゃめちゃ厳しくて、上を見ながらがんばってることは多分事実なんじゃないかと思っている。
 「なんでもできる人」じゃない。「なんでもできるようになる人」だから。できるようになるまでの過程を説明するまでもなく、智はまず結果を持ってくる。短期間で出した最高の結果を、平気な顔して持ってくる。そういう人だと、思っている。
 そういう人だから。
 だからこの人が嵐にいる限り、嵐というグループは大丈夫なのだと。
 そう、私は信じているよ。

 いつの時代のどこの世界にいたとしても、飄々と周りに同化して生きていけそうな(笑)、それゆえに若いうちから波瀾だらけの大野智の人生において、『嵐』が彼にとって安住の地でありますよう。ずっと、はムリだけど、今の状態をキープできたらいいとそう口に出して言える今のいい状況が、少しでも長く続いてくれたらいいと思っています。

 2001年の大野智様。お誕生日、おめでとう。