Fly 「me」 to the moon
1999年、私は初めてといってもいいくらい強烈に、桜井翔の誕生日を意識した。 誕生日を、では語弊がある。正しくは、「桜井翔の誕生日の日付け」を意識した。 その年、問題のフライデーが発売されたのが1月14日で。処分が決定したと報道されたのがね、ちょうど翔くんの誕生日あたりだったんです。それまで、桜井翔は私にとって隣りの芝生的なうらやましくってしかたがない人で、でもそれゆえに自分とこの庭にはいない人で、だから誕生日の日付までインプットしてたわけじゃなかったんだけど。処分の内容を知った直後の呆然とした状態の中で、ふと、「あ、25日って翔くんの誕生日だわ…」と、思ったんですね。「翔くんの誕生日なのになぁ…」って。そのあたりに友達に送ったFAXが手元に残っているんだけど、「きのう、桜井翔くんの誕生日で。今日は関ジャニのヒナちゃんの誕生日で。みんなどうするのかなぁと。そんなことを考えています」って書いてある。「桜井翔くんの」ってあたりに他人行儀な感じが見えてますけどもね(笑)。翔くんの誕生日を意識したのは、あの時の「あーぁ、翔くんの誕生日なのになぁ」っていう、なんともいえない感じの中で誕生日のことを考えた、それが最初なんです。私にとって。 我ながら、なんでいつもこの話を出してしまうかなぁと思うのですが(苦笑) でも、こっからじゃないとはじめられないのも本当だから。 だから、ここからはじめます。その時点から。 「翔くんの誕生日なのになぁ」って思った、あの瞬間から、話をはじめます。 ちっちゃくって、かわいくって、女の子みたいで、ヘンな言い方だけどどっかお姫様みたいな。…主に豆時代の翔くんに関しては、そんな印象を持っていました。ちっちゃくってかわいいなー、でもかしこいんだよなー、時々しょーもないボケするけどなー、あーでもこの子いいなー、ってな感じで。日々眺めて楽しんでいる、私の中で翔くんはそのくらいの位置にいました。そのくらいが自分の中では多分ちょうど良くて、ドキドキもハラハラもしない、ただかわいーなーって、それだけで済むような、そんな感じの人でした。 それが変わったのが、フライデーの時なんです。 当時の私の心境を正直に言えば、その時点で桜井翔は「辞める」と思っていました。 ……うーん、思っていた、というか。すっごくワガママな感情なんだけど、多分私は「辞めてほしい」と思っていました。だって、きっとどうせ桜井翔はゆくゆくは辞めるのだから。彼の人生設計上、ゆくゆくは辞めるのだから、それが予定の中に入っているのだから、だったら。だったら、この際この時点で辞めるんじゃないか、って。むしろ辞めてしまってほしいというか。だってこんなことがあってまで、続けるような人ではないと、そう「思いたかった」んですね。彼らが身を置く、広義な意味でのマスコミという世界が、私はもうどーしよーもなく受け付けられない気分だったので。そんな中にいることを「良し」とするような人であってほしくないときっと思っていたんだな。 でも、彼は辞めませんでした。彼、というか「彼ら」は。その直前にぱらぱらと人が消えていって、そしてフライデーでまた消えて、でもそれ以降約1年間、そのあたりの人は誰1人として消えませんでした。誰1人として、辞めませんでした。 私には、その理由がどうしてもわかりませんでした。その理由が、どうしても見つかりませんでした。ミュージカルアカデミージュニア(発足当時は「MAJ」という名前だった)、とか、ジャニーズシニア、とか、っつーかそれなんだよ!っていう名前ばっかりが前に出てきて。だってジャニーズジュニアだったじゃん、それじゃいけないの?その頃のことは消されてくだけで、もうジュニアって名前もダメなわけ?……そんな、非常に個人的な怒りを、私は何故か画面の中の桜井翔にむけてぶつけていました(笑)。なんででしょう。 「ジャニーズシニア」という名前で画面に出てくる桜井翔は、今まで見たこともないような、恐い顔をしていました。目に力どこの騒ぎではなく、あれは思うに「恐い顔」でした。今思い返しても、あれは恐い顔って言うんだと思います(笑)。 そんな恐い顔までして。そこまでして、なぜゆえまだその場所に桜井翔はいるのか。楽しいからやっている、と。部活みたいだからやっている、と。そう言って憚らなかった桜井翔が、そんな恐い顔しちゃうくらいの状況下で、どうしてまだそこにいるのか。そして、恐い顔しつつも笑顔になれるのはどうしてなのか(だって私は笑えないのに。)そんな状況下でもいつものように、否、それまで以上に活動しているのはどうしてなのか(だって私はもうそれを見るのもつらいのに。)どうして? どうして?と。あの時、私はずっと聞いてみたかった。他ならぬ桜井翔に、どうして?と、聞いてみたかった。どうして辞めないのか、と。どうして続けているのか、と。そんなごく個人的な理不尽な怒りみたいな感情のまま、どうして?と、聞いてみたかったんです。どうして?と。 そうして、気がついたら彼は嵐にいました(笑)。実際のところ、うぎゃーとかきゃーとかの前に、こちらとしては「……あれ?」みたいな(笑)どっちかっていうとそんな感じで。そんな感じで、彼は嵐におりました。 どうして翔くんがデビューの話に「うん」と言ったのか、どうしてデビューの話をOKしたのか、そこんとこも私にはよくわからないところです。そりゃ断るわきゃねーだろ、ってのもその通りっちゃその通りなんですが、でも「どうして?」と、やっぱり聞いてみたかったです。むしろ、「どうして、デビューしてくれたの?」と。言い方がとってもヘンなんですが、どうして「良し」の判断をしてくれたの?と。それも、私の聞いてみたいことでした。どうして?と。 春のコンサートで、私が漠然と思っていた「聞いてみたかったこと」に対して、桜井翔はあるひとつの答えをくれました。 「すべてのジャニーズジュニアに、ありがとう」と。 客席でこれを聞いた瞬間、咄嗟にわきおこった感情は、「なんだよ!」だったと思います。「なんだよ!」って。これはウチの随想録には書いてないんだけど(笑)。「なんだよ!」って、なんとなく。なにが「なんだよ!」なのかは説明しにくいんだけど。 あの瞬間、「なんだよ!あんたもずっとそう思ってたんじゃん!」って。そう、思ったんですね。なにを「ずっと」なのか、なにを「そう思ってた」のか、それは説明の仕様もないんだけど、なんというのか、あの瞬間私にとって桜井翔は「同志」みたいなもんでした(笑)。私の内心のところで、私にとってあの人は「同志」でした。 ずっとそう思ってたんだよ。でも、それを出してくれなかったから。出せるわけないんだけど、でもずっと翔くんは恐い顔してそこにいるだけで、恐い顔して現状に甘んじているように見えて、怒ってるのか淋しいのか泣きたいのか悔しいのかどうしたらいいのかわからないのかそれでもがんばろうと思っているのか、そういうことが全然わからなくって。 だから私はずっと、どうしてそこにいるの?どうして辞めないの?どうして続けているの?って、ずっとずっと思っていて、ずっとずっとそれを聞いてみたくて。 でも、なんだよ!あんたもずっとそう思ってたんじゃん! ……って。やっとそれまでのもやもやが晴れたような気がして。それで私は、泣きたいような気持ちになったのです。 私には、フライデーがあってから、夏にデビューするまでの翔くんの内心の動きというのがわかりません。……あたりまえですが(笑)、わかりません。春のあの瞬間に「なんだよ!」って思って、その瞬間同志のような気持ちになったことは本当だけど、でも、実際あの期間に翔くんが何をどんなふうに考えたり、思ったりしていたのかはわかりません。 そしてその「わからなさ」と同じようなことを、今でも時々感じることがあります。雑誌で活字になっているこの人のコメントとか、画面の中にいるこの人の言動とか、そういうものを見ていて、時々「わからない」と私は思うのです。 私の知っている、私が思っている桜井翔と、雑誌や画面の中にいる桜井翔の間に、乖離みたいなものを感じる時があるんです。カイリって、自分でもいまいち意味がはっきりしないまま使ってるんだけど(笑)でも「乖離」みたいなものを感じる時があるの。あの期間の間に私が「わからない」と思っていたというのは、つまりそこに乖離があったってことだと思うのですね。 私が思う桜井翔と、画面や活字の中にいる桜井翔との間にある乖離。 でも、です。でもね。 でも、現実の桜井翔と、私が思う桜井翔との間には、あまり乖離を感じない。 現実の桜井なんてものを私が知るわけもないのだが(笑)、コンサートで見るナマモノの桜井翔は、本当に、そのまんま思い描いた桜井翔がそこにいるような気がする。そこに乖離は存在しない。ナマモノの桜井翔から発せられる言葉に「同志!」と思って泣いてしまうくらい、そこに意識のズレはない。 じゃぁ、画面や活字の桜井翔から時々感じる、あの説明のつけようがない乖離した感じって、一体なんなんだろう。 非常に乱暴な言い方をすれば。 桜井翔というのは、桜井翔を知らないんじゃないだろうか。否、「知らない」では語弊がある。 桜井翔の中には、本人が気付いていない桜井翔が、山のようにつまってるんじゃないだろうか。 夏コンで桜井翔を見た時、彼は自作の曲を持ってきていました。(自作っつーのは原曲があるわけだから正しくはそうじゃないんだが、広義な意味で自作ってことで。)『Fly to the moon』というらしいのだと、後々になって知りました。この曲は、コンサートでの自分のソロ用に翔くんがつくってきた曲でしたが、TFMで2回程流れたんです。最初は嵐音の中で、次はラジアンリミテッドにゲストで出た時に。そしてご丁寧にも、バージョンが違うものが流れていました。コンサートでだけ使う用のしかもソロ曲用のものが、ラジオで流れるってのもめずらしい。そして録音したそれを、私は実は毎日聴いていました(笑)。通勤途中に、毎日聴いてました。私はヒップホップなんか好きじゃないし(というか「わからない」し(笑))、基本的に洋楽って聴かないし、だから翔くんがやりたいことの半分も理解できていない自信があるんだけども。 でも。 この曲は、やってくうちにどんどん細かい手が入って、どんどん良くなっていったんです。最初は、「翔くんのソロはラップ」で終わってたような気がするんだけど、回を重ねるうちに翔くんの気合とか、……気合っていうか、今まで見たことない「力」とか、そういうものが出てきたような気がしたんです。 この、「力」を持った桜井翔っていうのは、夏コンでこの曲をやってくうちに、初めて出てきたものだと思ったんです。やってくうちに顔を出した、多分本人も気付かないところにいた桜井翔が、出てきたんじゃないのかって思ったのです。 うまく書けないし、よくわかんないんだけど。 桜井翔って人の中には、本人も気付いてない、本人も知らない感情とか想いとか力とかが隠れている。でもそれが、時々ひょっこり顔を出す。現実の桜井翔を見ていると突然に、今までは全然気づけなかった感情とか想いとか力とか、そういうものに突然出くわすことがある。 だけど、画面や活字からはそんな隠れた感情とか想いとか力とかは読み取れなくて、だからそこに時々乖離が生じる。……そういうことなんかな、って、最近は思うようになりました。 負け勝負は嫌いなのにボウリングとかする羽目になって練習段階から涙目だったり、突発的な出来事に弱くってすぐにオロオロしてみたり、得意なことになるとどこまでも得意げだったり、家族大好きだったり、友達大好きだったり、普通ってことにすごくこだわってたり、……そういう桜井翔の、その中の本人も知らないところに、誰も知らない桜井翔が隠れてるんじゃないかな、って。 なんか、そんな気がするのだ。どうしても。それは、今の桜井翔に不満があるとかそういうことじゃなくって、全然そういうことじゃなくって、でも、なんか隠れてるんじゃねーかって。まだ、絶対私の知らない桜井翔が、本人も知らない桜井翔がどっかに隠れてるんじゃねーかって。そうじゃない桜井翔が、どっかにいるんじゃないかって。 まだ見ていない桜井翔がどこかにいる。 きっと本人も知らない桜井翔が、絶対どこかに隠れてる。 私はまだ、その桜井翔を見ていない。 ……私にはまだ、桜井翔で見たいものがある。 いつか、翔くんに聞いてみたいことがある。 いつか、遠い未来に、話してほしいことがある。 「どうして?」と。そう、遠い未来に、聞いてみたい。 あの時私が感じていた乖離と、そしてその後感じた「なんだよ!」っていう同志的な感情の間をつないでいたのは一体なんだったのか。遠い未来に、話してほしい。 いつか、の話でいいから。私には、桜井翔に聞いてみたいことがある。 いつかでいい。いつかでいいから。 私には、他ならぬ翔くんに、話してほしいことがあるんだ。 |
![]() ![]() 桜井翔様、お誕生日おめでとう! 薬にもならぬようなことを長々書いてきましたが、ようするに「翔くんお誕生日おめでとう」なわけです(まとめすぎ。)まとめすぎなついでに、新潮文庫版〈松本恵子訳〉『続あしながおじさん』の最後の一節を。主人公のサリーは、愛する人への手紙の最後をこうしめくくります。 ![]() |