
「けっなんだよおまえなんか桜井のくせにーーーっ!」
…と、思ったりすることがあるわけです。いわれなき中傷なんですが(笑)
翔くんが余裕綽々なところを見ると特にそう思っちゃったりして、まさにいわれなき中傷です。
べつに本気でそう思ってるわけではないですが(そりゃそうだ。)
この年末年始、桜井は常に余裕綽々でした。コンサート初日でもテンパってないし。
MCも周り見通しながら進めちゃってる感じだし、なによりアオリに失敗しない。先走っちゃったり、タイミングがズレたりっていうことがまったくない。常に余裕。まさに子ども達の前で「ん〜どうした?」って両手広げてる感じで、でもなんかそーゆーのを見てると何故かむやみに「きーっ桜井のくせに!」と思ったりするわけです。
一体なにがどう「くせに」なのかは何の説明もつきませんが、でも「桜井のくせに!」と思ってしまうことがあるわけです。余裕綽々なのが、どうにもこうにも悔しい(笑)
でも、もっと正しく言えば、「余裕綽々なのだ」ということに気がついたのは名古屋の最後の最後でした。

最後の最後、メンバー紹介の相葉ちゃんからの挨拶で、松本が「マサキ!マサキ!」とコールをかけ始めました。最後に時々やる一発芸コーナー。アクロバットできる人々はそっちの技をやり、松本は投げキッスをカメラに向かってやってクリアして、さてラスト桜井。
この人、いつもこーゆー時なんもできません。今回も土下座のポーズで終わりにしようとしましたが、松本がもっかい「しょーお!しょーお!」とコールをかけると、
「なんもできねーって!」
…と、軽くキレました。
ので、松本は「じゃぁ、バツゲームってことで、ブリッジ」と言ったのです。なんでブリッジかとゆーとその日のMCの話題でブリッジが出ていて、智さんがその場でやってたから「ブリッジ」なんですが。
「ブリッジ」の単語を聞くと、桜井は
「ばかブリッジなんかできるわけねーじゃん!」
…と、さらにキレました。
この時ですよ、この時「なんて桜井な答えなんだ」と思って、同時にはっと「あれー今回こーゆーの初めてだ」と気がついた。それまではほんとに余裕綽々だったんだって、逆にそう思った、っつー感じでしょーか。
そんで、「なによ桜井のくせにー」という、いわれなき中傷につながっていくわけです(笑)
この冬の桜井は本編最後の挨拶もかっこいい系で攻めていました。「今年もよろしく」とかゆってマイク持ったまま人差し指と中指をキザに(今「キザに」って言葉使う?これ以外いい表現がみつからない;)上げてみせたりして、あらなによちょっとかっこいいじゃないの、そんでまた「なによ桜井のくせにー」って。
…私がいいかげんにしろという話です(笑)
大阪の初日、桜井はその挨拶で「たくさん愛をいただきました、ごちそうさまでした」と言って。
言ったあと、照れました。多分。多分、そのあと何か言おうと思ったのかもしれないけど言わないで、ちょっと顔をカメラから背けるような感じで。
「照れるんだったら言うんじゃねぇよ!」と笑いながら、でもそういう余裕綽々では「ない」ところ、が、「翔くん」であることの所以なんじゃないか、とか。

「翔くん」って、「翔くん」でしょう?
昔からすごい不思議…不思議というかおもしろいなぁと思ってるのは、「翔くん」というのは、「翔くん」でワンセットになった名前なのね。最近はそうでもないかもしれないけど、もうほんとに事務所内上も下も、それこそ昨日初めて事務所に来ました、みたいな子まで「翔くん」って呼んでるのがおもしろいなーって。呼ばれ方にこれだけ差がない人もめずらしいというか。
「翔くん」は「翔くん」で、昔から「翔くん」だったし未来も多分「翔くん」で、本人は背も伸びてるし年齢だって当然上がっていくんだけど、でもなんかその「翔くん」という呼ばれ方の語感が持つイメージだけはそのままだってゆーか。
だからなんか、余裕綽々なの見ると「なによ桜井のくせにー!」と思い、でもそう思ってるのが楽しいってゆーかおもしろいってゆーかそーゆー面もあり、そして時々オロオロして逆ギレしてるのを見ると「あー翔くんだわー」って思ったりする。
…ってゆーのはこっちの勝手な感傷にすぎないんですが。
でも、今はきっともう、そんな感傷も許せるぐらいの「余裕」が、本人にあるよね。
先日読んだものの中に「SMAPのクサナギくん評」みたいなやつがあって、それに「(世間に自分のことを)わかってもらおうなどという甘いことは微塵も思っていないのではないか」という内容のくだりがあって、あーおもしろいこと書くなぁと思ったんだけども。なんか、今の桜井の余裕はそれに近いんじゃないかなーと思ってもみたり。
「わかってもらおうという努力はするが、それが曲がって伝わったとしてもそれはそれで仕方がない、わかってもらってももらわなくても自分が変わるわけじゃない」みたいな…。わかんないけど。

前に大学で働いていた時、私は女の子しかいないところにいたんだけども、なんか、大学3年生って急に変わるんですよ。就職活動が始まるのが3年の秋口くらいからで、このあたりから急激に変わる。みんな、いい変わり方をします。ありていに言って「おとなになる」感じ。あ、違うな、「おだやかになる」かな…「地に足がつく」とか、そんな感じ。それまで友達同士群れていないと駄目だったのが、急に1人で行動できるようになったり、子どもっぽい口調だったのがなめらかにしゃべるようになったり、女の子だからそうなんだけど、なんか「しとやか」になる。みんな、です。みんな。1人残らず、です。理由はわかんないけど、個人的な実感として大学3年の秋というのは変わり時なんだと思ってる。
その変わり方のひとつに「余裕ができる」も入ってるかもしれない。余裕ができて、おだやかになる。
でも、あたりまえだけどその子の中身まで全部変わっちゃうわけじゃないから、元々オロオロしがちな子はやっぱりオロオロすることがあります(笑)
人は多分そういうふうに年齢を重ねていって、根っこのところはそのままに、一生かけていろいろ変わりながら「自分」になっていくんだと思う。
その過程を、見せてもらってるんだと思います。これは翔くんに限らずだけど。でも、どうしても学校生活までもが一般的に付随して広まりがちな翔くんに対しては特に。
だからってなにができるわけじゃないんですが。むしろなんもできないんですが。
「なによ桜井のくせにーっ!」とかいわれなき中傷してますが(笑)
願わくばいつまでも「なによ桜井のくせにーっ!」と言わせていてほしい。
そんなふうには、思ったり、します。

そして、やっぱり、私の中では桜井は「桜井」以外ではなく、きっとこっちの漢字を使い続けると思います。7の月に空から恐怖の大王が降ってくると話題だったその年の1月に「桜井」だったから、私の思考の原点というのは結局そこにしかないから、あの時感じたこと考えたこと、世間というものの言動の無責任さ、その中にいる自分の弱さ、発表になった次の日が翔くんの誕生日だったこと。
昔の話にしかすぎないけど、全部終わったことだけど、でも少なくとも私の中ではあの時から今迄がずっと続いて流れているから。だからあの時と同じ「桜井」がいいです。こういうこと書くのあんまよくないんだろうけどー(笑)「桜井」という漢字にものすごい愛着があるのです。
表記の問題だから櫻井でもまったくかまわないんだけど、でも自分で使うなら「桜井」です。私は、この漢字が、好きなのです。
前…っつーか大昔にも引用したことがあるのですが。
泉鏡花から夏目漱石(本名:夏目金之助)への追悼文の中に
「私は不断から、夏目さんの、あの夏目金之助という、字と、字の形と、姿と、音と音の響とが、だいすきだったんです」
というくだりがあって、私はこの部分が大好きなんですが、この「夏目金之助」という部分を「桜井翔」に替えてね、ぴったりくるよーな感じなんです。
「だいすき」なんですよ。
「字と、字の形と、姿と、音と音の響とが」。

桜井翔様
おたんじょうび、おめでとう
どうやら就職先がJ-Stormになりそうな貴方に(笑)
してあげられることなんざ何にもないんだけど、できる範囲のことはなんでもするから
がんばって幸せになってくれ!

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