6666 【2000.02.08】 カウンター、自分でふんじまったぜ・・・(笑) ということで、6666の記念に大坂俊介について書こうと思うのである。「なんでや!」と思われるだろうが、彼の誕生日は6月6日なんである。だから、カウンターが6666になったらそれにこじつけて俊ちゃんのことを書こうと思っていたんである(←確信犯。) あのですね。 私がジュニアに足をつっこむきっかけは紛れもなく大坂くんとゆーヒトなのです。それまでジュニアにはずっと興味なくってね。いや、顔はわかってたんだけど。(裕貴とかすごい好きだったんだけど(笑))でも、ジャニーズ自体にあんまり「これーっ」ていう情熱(笑)もなくなってて、なんとなく私このまま宝塚オンリーになってくんじゃないかなー、と。そーゆーふうに思い始めていた時期に、俊ちゃんに出会ったのですわ。 最初の印象は、「なんて黙々と踊るんだろう・・・」と。すっごい職人ぽく、黙々踊ってる印象だったのね。最初はほんとにそれだけで。それが、ごとん、と勢いをつけて俊ちゃんに気持ちが傾いたのは、Kinkiのコンサートでステージ上に脱ぎ捨てられた Kinkiの衣装の撤収係りが俊ちゃんだった時で。両手に衣装を抱えて、がーーーっとステージをつっきってソデにひっこんでいく姿に惚れたんです(爆)なんかすっごい「仕事してます!」という感じでね。 それからは人様に昔のビデオを見せていただいたり、雑誌ひっくりかえしたりして勉強の日々でした;;;。結構ぽつん、としがちなところとか、そのくせ万人と仲良しなところとか、キャラクター的なツボもたくさんあったけど。やっぱり、なんでしょーねぇ。踊りが好きだったなー。うまいへたの問題じゃなくて。あの動きが好きだった。あんまり計算して踊るような感じじゃなかったんです、彼は。だからこそ、ふっと上にあげた腕のラインが仰天するほどキレイだったりして。一瞬、のポーズが時々息をのむほどキレイな時があったんですよ。手、がね。手の使い方がね、キレイでした。 あと、俊ちゃんは結局、智を見て踊っていたのでね。(ある時期から急に智の隣りで踊らなきゃいけないよーな ポジションになってしまったのだ、俊ちゃんは。)振付の『手の広げ方』とかが、すっごい似てるんですよ、智に。あともう1人、手の広げ方が智に似てる人がいて、それは誰かってゆーとKTKで智と一緒に踊ってた田中純弥くんなんですね。やっぱり、誰を見て、誰を目標にして踊ってたか、ってゆーのは影響されるもんだなーって思ったり。いや、全部が似てるわけじゃないの。踊りが似てるわけでもなくて。ただ、振付の『手を広げる』っていう部分が、そこだけが極端に似ていたの。(っつーか、似ているように見えたの。)そのあたりもなんか、無意識の影響って感じでね。 ・・・で。 先日、友達とビデオ大会をしまして。それで湾岸スキーヤーとかシンデレラ・クリスマスとかだーっと見て。あーもーみんないるいる!って感じで(笑)そういう時、やっぱり私の目がいっちゃうのは俊ちゃんなんですねー。ほんとは「昔の桜井翔を見ようの会」だったんだけど(爆笑)油断すると目が俊ちゃんを追っているのだよ;;;。やっぱりねぇ、初恋の人だからね!(違うだろう!(笑)) 雑誌なんかで「将来の夢」を語る時、いつも奴は「マルチタレント」ってゆってたんです。「マルチじゃなくてもいいから踊ってくれ・・・」ってずーっと私は思ってましたが(笑)・・・今も彼に「なりたいもの」があればいいなぁと思います。妙に現実的なところもある人だったから、今は普通のサラリーマンになろうと思ってるかもしれないなぁ(笑)営業とかできるのかなぁ;;;(←心配するの早すぎ。)まぁとりあえずは、今、毎日が楽しいといいんだけどね。1日にひとつぐらい、笑えるような出来事があってくれる生活だといいなぁ・・・。 …とかゆっていたら彼は普通のサラリーマンではない方向に(笑)。うん、でも、めでたい。いつかまたみんなで一緒に踊れたらいいなと思う。本当に、夢みたいな話でもね。 |
エンターテイメント 【2000.02.26】 今日はわりと呆然とした感じでドームコンを見ていた。ここ2日間ばかり飲み歩いていたので(Nさん、T姉さん、Kちゃん、すごいおもしろかったよ(笑)また遊んでね)今日起きたらほとんど夕方で(・・・。)そのまま呆然とビデオを見ていたのである。 そっかー、この時A・RA・SHIってほとんどフルでやってたのか、そりゃそうだよな、やっぱりフルっていいなー、などと思いつつ。ほんとにぼーーーーっと見ていた私が思わず身を乗り出した曲は。・・・その曲は、すばるがやった『Shelter』であった。 私は一応本家本元Shelterも見ている。スバラシイ!と思っている。坂本Shelterを絶賛している。…それをとりあえず言っておいた方がいいだろう(笑) MステでジュニアがShelterをやった時に思ったんだけど、『Shelter』といううたには歌いたくなる力がありますね。歌いたくなる力、歌わせたくなる力。そういう力がある。楽曲としての力があると思う。そういう力があるから、トニコンの終盤のメインの曲にもなるし、すばるもやればジュニアもやる、という。そういう現象がおこるんじゃないか、と。 で。すばるなんですが。身を乗り出したのは♪君のためだけに誇るものが欲しい♪のとこです。そこを歌ってる時のすばるの表情です。ドームコン当日は、顔なんかわかりませんから(笑)特にどうということもなかったのですが。なんかこう、力のある顔して歌ってるんですねぇ...。いい顔だなぁ、これはいいなぁ・・・と思ったのです。 確かに、この時すばるが歌ったShelterはうまくはないかもしれない。でも、いわゆる「エンターテイメント」と呼ばれるジャンルに、うまいヘタってそれほど関係ないんじゃないかと私などは思っているのである。大事なことはうまいヘタではなくて。そこに「力」があるか。「気持ち」があるか。ようは、そういうことなんじゃないだろうか。最低限のレベルと「力」と「気持ち」があれば、あとは個人の好みの問題で。うまいヘタなんてものは、案外関係ないんじゃないかと思うのだ。うまいけど「力」も「気持ち」もないものよりも、多少技術的に難があっても「力」と「気持ち」のある方が見る者になにかしらの感慨を与えると思うけれど、どうであろう。 『Shelter』という楽曲には、元々力がある。本家本元Shelterは、本人は勿論、バックの人々にも力と気持ちが入っていて、ゾクゾクするような演目(と言っておく)だったと思う。でも、だからといってすばるのShelterがダメ、なのではないのである。だって、画面越しにShelterを見ながら、なんかちょっと私は感動したのだ。そこには力がって、気持ちがあって、そして気合いがあった。大事なのはそこだ。大切なものはそれだ。技術よりも、力や気持ちを大事にできなければ。だって、「エンターテイメント」の意義はきっとそこにあるのだから。 当時色々物議を醸し出していたShelter(笑)。非常にこうジャニーズゴコロをくすぐる曲ですよねこれね…。 |
楽しい、という概念 【2000.03.25】 今日は仕事を昼過ぎまでしまして、その後横浜美術館に行きやした。幕末・明治の横浜展が明日までだったので。駆け込み。彩色写真(モノクロのプリントに手で色をつけた写真)の本物を始めて見たけどびっくりするほど色がキレイだった!あの感じは印刷じゃ出ないなぁ…。 そーゆーの、私は色々見に行く方だとは思うけど、基本的に美術館とかがめちゃくちゃ好きってわけじゃないです。博物館とかの方が好きっすね。それとか、建物そのものとか。その土地そのものとか。そういうものに「わ!」と思うタイプです。絵がキレイとかそういうことよりかは、その物体・その土地の歴史とか、由来とか、意味とか、そういうものに「わわわ!」と感動するタイプみたいで。 大学の卒業旅行でウィーンとロンドンに行った時、特にそう思いました。(ちなみにそれが現在のところ私の唯一の海外体験。)美術館に入っても、絵を見てる時間よりただ建物の中を歩いてる時間の方が私は長いし、買物をするよりも、ただ街を歩いている時間の方が私は圧倒的に長かった。 ウィーンの市街地の真ん中に、シュテファン寺院とゆー建物があります。ありていに言って教会なんですが、なんとゆーか、すごく「おおきい」建物なんです。ものすごい歴史的建造物なことは勿論なんだけど、現在でもフツーに教会として使われている。そのへんが「おおきい」んですな。で。 そのシュテファンが見える位置から、日本の自宅に電話したんです。親に、無事着いてるよ、っつー報告の電話をね、したんですよ。そうしたら。その時母親が最初に言った言葉が「楽しい?」だったんです。「ちゃんと着いたよ」って言ったら「楽しい?」って返ってきた。反射的に「楽しいよ」って返事をしたら「良かった!」って言われた。「楽しいよ」って返事しながら、そん時にすっごい、あぁ、楽しい、楽しいよ!・・・ってしみじみ思ったんだよなぁ。 何が見れたから、とか、この美術館には何があるから、とか、何が買えたから、とか、そういうことではなくて。ただ、ウィーンという土地に来ることができて、この場所で電話をしているというその事実が、電話をしながら見上げた空は晴れていて、シュテファン寺院がキレイに見えるというその事実が、今ここにいるというその事実が楽しいんだなぁって。「楽しい」のはここにいるからなんだなぁ、そうだったのかー…って。すごい、意味もなく感動して泣きそうになった。 ・・・もうすぐ、嵐ちゃんのコンサートがありますけども。多分、私がその時感じるであろう「楽しい」の概念は、あの時シュテファンを見ながら感じた「楽しい」の概念とおんなじものだと思うんですねー。「楽しい」のは、何がどうしたからじゃなく。ただ、嵐がコンサートをするというその事実が楽しい。そういうことだと思ったです。 結論。 そういう女が見に行きますので、レポを期待してはイケマセン(爆)絶対「楽しい」と「カワイイ」しか言わないからね;;;。 …そして褒めちぎることしかしない私であった。有言実行(ちょっと違う。) 今でもあの「楽しい?」って受話器ごしに言われた時の感覚は忘れない。「楽しい」って言葉が実感をもって迫ってきたような、そんな感じだったのだ。 |
同時の視線 【2000.03.27】 閉会式っちゅーことで代々木体育館に嵐ちゃんがいる頃、私はタナボタ的に頂いたチケットで、有楽町で宝塚を見ておりました…。 今回は宙組でございます。宙は元々あんまり見ないんだけど。新聞等で話題になったからご存知の方もいらっしゃると思うんですが今宙組のトップにいる姿月あさと、という人のサヨナラ公演(この公演で姿月さんは退団する)を今やってるんですな。姿月さんは通称「ずんちゃん(本名が「じゅんこ」だからそれがなまった)」とゆって素顔は非常にボケボケした感じなんですが(相葉ちゃんを舌ったらずにした感じかな…)一旦歌い出すとガラっと変わる。そーゆー人でした。お芝居はともかく(酒井先生それでよいのか!?私はなんか引いたぞ!)ショーが斬新で良かった、と、私は思ったです。・・・思った、のですが。 通常、私は宝塚を見に行く場合、いつも決まった人と行くんですね。Mちゃんというのですが、私に最初に宝塚というものを教えてくれて、宝塚における基本常識をたたき込んでくれたのもMちゃんなんです。Mちゃんと一緒に見るか、それか1人でふらっと行くか、って感じだったんですが、今回は久々に違う人と行ったんですよ。そーしたら。なんか、観劇後の感想が全然かみ合わないんですね(爆笑) なんてゆーのかなぁ。その、今回一緒に行った人は「姿月さん」を見にきてるのね。だから、他はほんっとに全然見てない。「姿月さん歌うまい」って、ほんとにそれだけで、芝居がどうとかショーがどうとかそーゆー点では見ないんですな。私は今回のショーは好き嫌いはあると思うけど斬新で、すごくおもしろい趣向でやっていると思ったんですよ。今の宙組だからできること、ってゆーのを追求してていいなぁと。でもその人に言わせると「オリジナルの歌が少なかった」になるの。それもまぁ「なるほど」ではあるんだけども…。「あの場面の○○さんが…」という話も、そんなわけでまったく通じなかったんですね。私はすごく樹里ちゃんに惚れたし(やっぱいいよ樹里ちゃん…)、華宮あいりには「ほほぅ…」という感じだったんだけど、その人は誰が誰やらもわからん、という状態で(笑)姿月あさとを見る、というのもそれはそれで一つの正しい観劇の仕方なんだけど、「はぁ、そういう見かたもあるのか・・・」と、なんか呆気にとられてしまったとゆーか(笑) うーんとねぇ。私がいつもMちゃんと一緒に宝塚に行ってるのは、観劇後の感想があまりにも合うからなのかもしれない。合う、とゆーか、同じところを見てる場合が多い。けど、Mちゃんと私の趣味は全然会わないんですよ。わかる人はわかってねって感じなんですが、私は絵麻緒ゆうとか安蘭けいとかが好きで、Mちゃんは紫吹淳なんですわ(爆)でも、見てるとこおんなじなんだなぁ。「盆回しで出てくるところ、○○さんが首ちょっと動かすでしょ」「そうそう!あの首の角度!」とか。首の角度まで見てるの(笑)ほんの一瞬なんだけど。「タンゴのところの副組長が!」「かっこいいよねあれね!!」「後ろの方でグラス傾けてる○○さんが!」「あの指に色気があるよ!」「スーツになって階段降りてくるとこっ」「足長すぎだよあれ!」・・・誰、と固定してるわけじゃないんだけど。「ここがいいの!」って、めちゃくちゃマニアックなことゆっても「どこそれ」って返されたことないなぁ・・・。「スーツのポケットに手を入れた時の腕の曲げ方が」とか、そーゆー話とかするのね(笑)その人のことを、2人ともめちゃくちゃ好きってわけじゃないんだけどね、でも、その場面では2人ともその人のことを見てたんだよね(笑) 私が最初に彼女に基本をたたき込まれたってのもあると思うけど、なんかね、何がどうってんじゃないけど舞台の見かたが似てるんでしょーね。そういう人っていますよね。実生活で友達ってわけじゃなくても「あ、この人おんなじだわ」って思える人。まぁ、私とMちゃんの場合、首の角度まで申し合わせたように見てるのは我ながらちょっとヘンだと思うけどね(笑) 何か見た後に「そうなのそうなの!」って騒ぐのは楽しいっすよね。大事にしたいのはそういう感覚だな、と、最近は思いますです。 |
サクラサクラ 【2000.04.02】 1998年の丁度今頃、私は京都におりました。その年の年度末付けでそれまで働いていた職場を辞めて、いわゆるプーになって、職探しをする前にのんびり京都におりました。…いや、KTKのプレビューを見に行ってただけなんですがー(笑)働いてたら4月の頭の平日何日間か、なんて絶対無理だから。プレビューのお知らせがハガキで来た時は「うーんやっぱ今職場辞めることにして正解」とか、思ったものです(笑) 私は旅行に出ると必ずメモ帳を現地で買って(もしくは持って行って)簡単にメモをとってくる習慣があるんですね。で、このKTKプレビュー公演の時もそうしていまして。それによると、98年の4月1日は大雨だったようです(笑)(白状すれば私はちょっぴり雨女・・・) この時は色々観光もしたんでそのこともずらずら書いてありやす。特に嵯峨嵐山の清涼寺に感動している。春秋の特別拝観時にしか見られない釈迦尊像がすっごく良くって、定位置から正座して見てたら若い坊さんに「特別拝観中ですからこちらまで入ってご覧になれますよ」と言われて釈迦尊像の間近まで行って見たんだよな〜…その時のことをメモには「私そんなに見たそうにしてた…?」と書いてある(笑)あと「思わずおがみたくなる姿形をしていた」とも。この日は大覚寺にも行って、夕方清水寺にも行って、夜円山公園にも行ってる。すごいハードスケジュール(笑)円山公園には夜桜を見に行ったんだよな確か。 4月2日付けのメモには、やたらプレビューの15:00公演のことが書いてある。なんでも、やらっちがCandoCangoの途中で急にハケてしまって、そのままラスト近くまで戻ってこなかったらしい(あまり当時の記憶がない(笑))それで戻ってきた時「翔が何か話しかけてて、それにやらちゃん答えてたんだけど全然笑ってなくて、そんでもってとってもとってもかっこえかった」…とメモには(笑)3日付けの方は19:00公演のことがたくさん書いてあって、「智のBeforeFightが絶品!やっぱり智はこういうのがいい!」と。「20才前にトニー演らせてあげたいなぁ」とも。あと、町田のことと一男のことと関ジャニのこととせーくんのことと、って自分で見て笑うほどたくさんたくさん書いてあって、で、翔くんのこともいっぱい書いてあった。なんでもこの回のMC(ヒゲダンス)に翔くん・松っさん(松本淳一)・一男、で出てきたらしく。翔くんは、黒いビニールテープで『小』って漢字をつくっておでこに貼りつけて出てきて、「ほんとは『翔』ってやりたかったけど難しくてできなかった」って言ったのだそうな。したら一男が『翔』の漢字のことを「あの、羽(ハネ)って書くやつ」と言ったら翔くんが「うん、そんな感じのやつ」と答えたんだと(笑)羽(ハネ)じゃなくて翔(トブ)だよな正しくは(笑)「翔みたいなコは関ジャニにはいないなぁ…」とも書いてあるなぁ…。 この時桜の名所は色々まわったんだけど、98年当時の私的オススメは東山の霊山歴史館と護国神社のところの桜だそーです。確かに、ここの桜はすごく高い位置にあって、山の上から桜がハラハラ降ってくるような感じで、なんとも言えずキレイだったんですわ。「哲学の道の桜はすごいはすごいけど採光がイマイチ」とも書いてあるよ(笑) で、プレビュー公演のまとめとして色々書いてある中で、智と翔くんについては「智の踊りをお腹いっぱい見てみたいなぁ…」…って、今思えばあの頃お腹いっぱい見てたじゃないか私!って感じだけど(爆笑)智については昔も今も望むことは一緒ですな(笑)で、翔くんに関しては「翔のとぼけた感じを再確認した」だって。「とぼけた感じ」って書いてありますよ!(笑)いや、今もある意味とぼけてるけどあのヒト!キャミワンピとか!(それカンケーないから)そんでもって1番最後に「桜の季節の京都を歩けたのは貴重な体験だった」と。確かに、中々行けないから、あれは今思っても貴重だった。いろんな意味でね。 とゆーことで、嵐音のために慌てて買ったタイマー録音できるデッキをセッティングするべく机回りを整理したときに出てきたメモ帳より、1998年4月1日〜4日の間の私的記録でございました。 余談。いやーでもびっくりしたのは、このメモの中で私は智のことは「智」だけど、翔くんのことは全編通して「翔」って書いてる。当時私は彼のことを「翔」って呼んでたんだろーなー…なんかびっくり…それは自分でも知らなかったよー(爆)、一体いつから私は彼を「翔くん」と呼ぶようになったのであろうか…。 「白状すれば私はちょっぴり雨女」ではなく、正しくは「私はとっても雨女」なのでした…。いいんだもう…。 |
トルコに行きたい 【2000.04.15】 突然だがトルコである。現実逃避の思考として、「トルコいきたーい…」と1日1回つぶやく毎日である。 元々トルコに興味があったわけでは全然ない。私の中でトルコが大きくなったのはひとえに高橋由佳利の漫画『トルコでわたしも考えた』のせいである。これを読んでから、いろんなトルコ旅行記を読んだけど、やっぱりこれにかなうものはない。 たとえば、この漫画の中に「コロンヤ」とゆーものの描写がある。なんでも、トルコではおもてなしとしておしぼりの代わりのよーに「コロンヤ」とゆー名のコロン…っちゅーかさっぱりする液体っちゅーか…のよーなものがサービスされるとゆーのである。「コロンヤ」の壜を持ったウェイターなどが、客が出して待っている両手の上に何滴か落としていってくれるわけである。その漫画を読む限り、「コロンヤ」は「コロンヤ」で、それ以外の表現の方法はない。 ところが、これがとある旅行記だと「コロンのサービスがある」と表現されているのである。「コロンヤ」は「コロンヤ」であって、断じて「コロン」ではない。いや、意味合い的には「コロン」かもしれないが、「コロン」と日本人が聞いて思いつくイメージとは、かなり違う物体である。(物体である、と思われる。)「コロンのサービスがある」の一文を読んだ人と、「コロンヤ」の表現を見た人では、トルコの日常生活のイメージに差が出るんだろうなぁと思ったりするわけである。 イスタンブール、という名のこの国の首都は、その昔コンスタンティノープルという名の東ローマ帝国の首都であった。私はこの「コンスタンティノープル」という名前に惚れていたので、今の「イスタンブール」という名前は好きではなかった。コンスタンティノープルを陥落させたトルコという国も好きではなかった。その極私的トルコの悪印象を変えたのがくだんの「コロンヤ」なのである。ウソみたいだがホントの話だ。 カッパドキアに行きたいとか、ブルーモスクを見たいとかいうよりは、「コロンヤ」の実物を見てみたい(笑)私の「トルコいきたい」はこーゆー些細なことが発端である。「コロンのサービスがある」では、私はトルコに行きたくはならない。「コロンヤ」があると知ったから行きたい、と思ったのである。 ものを伝えるとはそういうことだ。「コロンヤ」とは「コロンヤ」であって、断じて「コロン」ではない。なにかを伝える、とはそういうことだ。なにかを知る、とはそういうことだ。それゆえにむずかしいのだ。 私的にはかなり好きな部類に入る徒然。文体としてこういう系統のものが自分的には好きなのね。でもちょっとやっぱり冷たくなっちゃうんだよなこのテの書き方するとな〜…。 |
空を切る音 【2000.04.25】 劇団☆新感線+PARCOプロデュース・佐藤アツヒロ主演「犬夜叉」を見に行った。ミュージカルというか、ストレートプレイというか、分類はよくわからないけれど、とにかく想像していたものの5万倍ぐらいおもしろい舞台だった。 とにかくアツヒロがかっこいいったらありゃしないのである。彼の役は「半妖」つまり半分妖怪(犬の妖怪)で半分人間、という設定である。したがって動きが非常に動物っぽい。登場から動く動く動く、である。いわゆる「立ちまわり」ってやつなんだが、う〜ん、なんとゆーのだろう。立ちまわり、というか……とにかく「動いてる」んだな。 走る。ジャンプする。見えを切る。派手に転ぶ。はいつくばる。そのひとつひとつの動きに対し「どの角度が最もきまるか」ということを彼は体験的に知っている。彼の体が知っている。そして、ライトがあたる瞬間のタイミングと、その時、どんな表情をすればいいのかも。 登場シーン、彼は「シュタッ」とまさに音がしそうな勢いで飛び出してきた。なるほど、「空を切る」とはこういうことかと思った。その時、確かにアツヒロは「空を切って」いた。あの役はアツヒロにしかできない。そう思わせるのに充分な出来だった。 いやまぁ、発声ははっきり言ってなってないんだと思う(笑)セリフも、同じセリフだと一本調子になっているのは確かだと思う。でも、そんなことはどーでもいいのだ。だって奴は舞台の上で自信満々に犬夜叉になっていて、自分が犬夜叉であることを少しも疑っていないのだ。空を切るその動き、見えを切る瞬間の立ち姿、ライトをはね返す目の力。そういうものが犬夜叉に必要なものであり、そしてその必要なものをアツヒロは持っているのだ。正しくは、持っていたのだ。ダテに、第一線のトップアイドルを何年も続けていたわけじゃないのだ。14才からライトを浴びてきたその力を、馬鹿にしてはいけないのだ。その経歴があったからこそ、26才にして奴は舞台に目覚め、こんなにもハマった役にめぐりあったのだから。 共演の方々も、このヒヨッ子(笑)をとっても大事にしてくださってる感じであたしゃ涙が出たよ(笑)実はこの舞台アツヒロも目当てだが、馬渕英里何の方が楽しみだったことは内緒にしておかなあかんな、と思ったよ;;;(誰にだよ(笑))そして遠山景織子はめちゃめちゃキレイだった…。もー登場人物みんな良くって、ほんとおもしろかった。おもしろすぎてびっくりした(笑)帰ってきて慌ててもう1公演押さえたぐらいおもしろかった(爆) なんかねぇ、ジュニアの皆さんに見せたかった。将来的にこういう道もあるんだってことをね、見てほしいなぁ。私は「デビューしなくてもジャニーズ事務所という中で仕事していく方法」を考えることをライフワークにしているので(笑)。そーすっとやっぱ、舞台だよ舞台。それしかないと思ったよ。主役じゃなくても、外の舞台に「所属:ジャニーズ事務所」で出るってーのが一番いいと思うんだよなぁ…。したらモノによっては踊れるしさ。いやあの、東宝とか松竹とかのなんかの息子役とかさ、そーゆーのだけじゃなくてね。こういう、小劇場チックなやつにもどんどん出ていけるようになればいいなぁ、という話なのです。 それにしても犬夜叉はマジでおもしろかった…。一緒に行った友達は「なぜアイドル雑誌が今でも佐藤敦啓にページを割いているのかよくわかった」と言っていました(笑)うん、やっぱ奴はある意味天才だと思ったわ…。 そして今度赤坂ACTシアターで再演(再々演?)するのだー!祝!めでたい!もう犬夜叉はできるところまでライフワークで演ってほしいと思う今日このごろでございますよ。 |
概説すること、詳述すること 【2000.05.20】 先日友達がちょっとしたメールを送ってきた時にふと思ったのですが。あのー。私は、「概説」ってことができないのだなぁ…とね。 つまり「少ない字数で全体をまとめる」ってことができない。「少ない字数ならば全体は捨てて一部分を詳細に記述」の方がまだできる。100あることを1にはまとめられないけど、100あることのうち20〜30の間ならば細かく書くことができる。または、1しかないことを100の分だけ書くことはできる(笑)(それただのサギ師だから(笑))そおいうタイプなのですね。 でも、その友達は100あることを1にまとめてしまうのですよ。100あることをキレイに1にまとめてメール送ってきたの。『キミ、天才!』ってよくわからない返信送っときましたが(爆) そういえば私は「まとめる」ってことができなかった。読書感想文とか、うまく書けなかったの。だって、私は本全体のことじゃなくて、その1行のことについての詳細しか書けなかったからさー(笑)…でもさ、よくよく考えてみたら、それにはキッカケがあったのさ。 小さい頃の苦い経験としてですね、あのー、小学校の時にね。先生の「研究授業」ってーのがあるじゃないスか。他の学校の先生とかがたくさん来て、その先生たちが見てる前で授業するやつ。そこで、私のいたクラスがその研究授業にあたって、その内容ってーのが理科の実験だったんですわ。そんでね、それが終わった後、『授業の感想』ってーのを書かされたのね。で、私は全然その授業についてどうこう思わなかったんだけど、「まぁ、『感想』と言われて書くんだったらこんなもんだろう」というノリで、思ってもいないことを書き連ねたわけです。…そーしたら、だ。後日、授業で先生が得意そうに言うですよ。曰く、クラスの中の2名の感想を、研究授業の後の先生方の研究会で発表した、と。とてもよい感想で、授業も成功したということで、よい結果が得られて良かった、と。喜んでいるですよ。…そーです、その場で長々と読み上げられたその2名のうちの1名が私だったわけです。 これはね!この出来事は子供心に大ショックだった。だって、私はちーともその授業が「良かった」なんて思ってないんですぜ。でも『感想』を書け、って言われたから『感想』にふさわしいものを書いたの。そしたらそれが『良し』にされちゃってね。先生が私の『感想』を読んでる間中、いたたまれなかった。…ウソ書いちゃいけねーな、って思ったですね。強烈に。まわりに悪いんじゃなくてね。自分がいやだったのね。「ちがうの、私ほんとはそんなこと思ってないのーっ!!」ってね。時分が書いたものには責任とらなあかんのやな、って、思ったね。子供心にね。 …でね。思い返せば、その頃まで私は読書感想文は得意だった気がする(爆笑)でも、ウソ書いちゃいけねーな、って思った途端に書けなくなったのね。本全体の感想が書けなくなった。「まとめる」ってことができなくなった。その代わり…ってわけじゃないけど、自分が本当に良し、と思ったものに関してはそれがたとえ1行だけの文章でも、ほんの些細な出来事でも、いっくらでもものが書けるようになったような気がしますですね。 だからあのー、私が時々全体をすっとばして、誰かの小さい発言を拾って延々語ったりしてるのはですね、そーいうトラウマ(笑)があるからなのですね。トラウマがあるからってわけじゃないか。あの、それしかできないからなのね(笑)(おいおいおい) だからあのー、メール頂いて、返信したりなんかする時に、妙なまでに長くなってる時があるのですね(爆)皆々様におかれましては、そーゆーメールをぶんから受けとってしまっても、「おいおいこいつ、またまとめらんなかったんだぜ」と思って笑い流して頂ければサイワイなのです…。 せめて自分で読み返せるものを書きたいですやね(笑)。それが最低限の目標でもあり、最大級の目標でもある。 |
プレゼント 【2000.05.22】 本日のわたし。 本日お休みだった私は、昼前から友達と日比谷でおちあい、お昼を食べて、それから宝塚1000day's劇場にて月組公演を見たのです。「マミさん見ると『宝塚見たーっ』って気がするねぇ」などとほくほくしつつ、その後お茶を飲みつつ、数年後にやる宝塚ベルばら公演の各組の配役などをあーでもないこーでもないと楽しく予想をし、その後旦那にゴハンつくるために家路につく友達を見送ったわけです。 で。 その後私はル・テアトル銀座(旧銀座セゾン劇場)に1人で行きました。『犬夜叉』のリターン公演を見に行ったのです。その日に入れたらヅカとのWヘッダーになることはわかっていましたが、まぁ色々事情がありまして今日見に行くことにしたのです。劇場にはわりと早めに入り、今日は結構良い席だったのでまたもやほくほくしつつ、犬夜叉犬夜叉♪と、開演を待っていました。…確かに。開演間際、妙に客席の後方を振り返ってる人がいるな、とは、思っていましたが。そんなものは全然気にせず、犬夜叉に集中しておりました。 そしてやっぱり、しっかりきっぱり犬夜叉様はかっこ良く、おもしろく、ノドも少し直っていて、1幕終わる頃私の幸福は頂点でございました。「あー、やっぱ犬夜叉楽しいーっ」と思いつつ、休憩になりまして。3時間の長丁場の舞台なので、ま、とりあえず立っておこうかと思いつつ混み合った通路に立ち、ぼんやり客席後方を眺め「あぁ、やっぱ男の人が多いなぁ。そりゃそうだけどなぁ。あっ、若い子も見るんだー。 げ、しかもすっごい茶髪の子ー。劇団関係者にしては若いなぁ、馬渕英里何のファン…じゃねーよ!!!!!」 ……はい。そこにおすわりになっていたのは、誰あろう松本くんと二宮くんと相葉くんだったのでした…。私の席が11列目12番。彼らの席は15〜16列目の12・13・14番でした。なもんで、真横を通るような形で私はロビーに出ることになったのです。でも、この段階ではとにかく「3人」「マツモト・ニノミヤ」しか確認できず。いや、あの、なにしろ劇場内が薄暗いんですよ、効果で。休憩時間でも、暗いまんまなの。だから、ヘタにどっか動くより客席にいた方が良いんだろうけども…それにしても、休憩の間中、座りっぱなしでした奴らは(笑)そんなまじまじと観察もできないし(まわりの客も気をつかってか(笑)休憩中誰も席にはおらず、奴ら3人のまわりだけ座席は奇妙にぽっかり空いていた)何度か後ろの通路とヨコの通路を通っただけですが(通るなよ私も;;;)3人はもそもそとイスの上で動きながら、熱心に(?)パンフなんかを見てました。結局最後まで相葉ははっきり確認できなかったんだけども;;;でもあれは多分相葉だったと思う…。通路に近い方から松潤・ニノ・相葉、と座ってて、松潤はソデのとこだけ赤くて他は白で、星のマーク(?)が入った長袖Tシャツ、ニノはブルーのチェックのシャツ。眼鏡等は誰も着用せず、『そのまんま』でいました。なんかこう、コドモやった、みんな(笑)客席の年齢層が結構高かったので、余計そう見えた。すごい高校生っぽかった。年相応だなぁ…としみじみしましたねぇ…。 いやあの、実はですね。グローブ座で最初にジャニファンの子と犬夜叉見た時に、帰る道すがらずっと「これ、坊ちゃんに見せたいねぇ」って言ってたの。「嵐みんなで見にこないかなぁ」って。だから、すっごいうれしかった。「あぁ、これ見てるんだ!!見に来たんだ!!」って思って。なんか、舞台は技術じゃなくて、声の良し悪しでもなくて、要は気合いだって、そーゆーのを見てほしくて。『娯楽』ってものがなんなのか、ってことも。『笑い』とか『涙』とかが、ほんとはとってもストレートなんだってことも。世の中勧善懲悪ってわけにはいかないんだってことも。あと、未来の方向性としてね。これは、ニノにも、特に。だって、誰もアツヒロが今のニノや松潤ぐらいの年の時、将来舞台役者でやってけるなんて、思ってもみなかったからさ。だけど、彼は方向性としてそういうものを視野に入れて、それを現実にしてるんだから。顔しか取得のなかった彼が!!(爆笑)犬夜叉アツヒロは、彼が「アイドル」っていうものをやってなければ、絶対に生まれなかったものだから。自分の見せ方とか、場数とか、間合いとか、目の力とか。そういうものは全部、彼がアイドルしてる時に身につけたものだから。 だから。今自分たちがアイドルしてることは、絶対ムダにはならないって、それだけでもわかってほしくて。将来どうなるかはわからないけど、50過ぎまでアイドルはできないって思ってるかもしれないけど、でも、それでも、アイドルやってることは絶対にムダじゃないからって。それがわかるから、だから、犬夜叉見てほしくて。…うれしかったなぁ、ほんとに。見に来たんだ、って思ってさ。 休憩時間の間中、ずっと客席にいた3人は、見事大半の人にバレてましたが、いたって静かでした…そりゃそうだ。客席にはアツヒロファンの妙齢のお姉様か、演劇ファンしかいないんだから(笑)私の隣りの席のお姉様たちは「嵐って、5人組でしょ?」「今日3人?」って人数の確認とりあってたしな(笑)ロビーでは「ジュニアがいるみたい」って言われてたしな(爆)ま、そんなもんだ(笑)でも、一応皆様気になるらしく、アンコールアンコールで3回あったカーテンコールが終わって客席がようやく明るくなった瞬間、ばっと皆さん顔を後ろにむけたのですが。もう、その時には走り去る松潤の後ろ姿が見えるばかりでございました。 …っちゅーか。どうも、あの方たち、律儀にカーテンコール終わるまでいたらしい。でもって、終わった瞬間に出たんだけど、坊ちゃんだけ出遅れたらしい(爆)…確か、坊ちゃん、一番通路に近い席に座ってたんだけどな…(笑)あたふたと黒のリュック(?)を肩にひっかけて、足早に去る坊ちゃんは確かに背中がアセっていて(笑)すっごいラブリーでございました…きっと最後まで拍手してたか、荷物の整理をしてなかったか、どっちかだな……両方かもな…(笑)そんな坊ちゃんをとっととおいてく2人もステキ(爆笑) っちゅーことで、思わぬオマケがついてきた犬夜叉リターン公演でございました。…余談だけど、相葉はきっと「犬夜叉」の漫画を全巻買うに違いない。二宮も、役者やるならこういう舞台路線も考えてほしいなぁ…。(なんか、客席に座ってる二宮は非常にころころしてる感じで、 顔がぼんやーりしてて、犬みたいでえらいカワイイ感じだったさ…。) …で。なんでこの日記タイトルが「プレゼント」か。それは、非常にどうでもいい話ながら、この日がワタクシの誕生日だったからでございます(笑)プレゼントっぽかったよ、なんか(笑)やー、ね。なんか、うれしかったのさ。…人に言えないような年齢になっておきながら、そのスタートがこれでいいのかって話もあるけどな(爆)でもおもしろかったからなんでもいいのだ。 嵐ちゃんは舞台モノにはよく現れるでございますよね。そ、そういうふうに育ててくれようとしてるのかしら!?(それ賛成!賛成ーーっ!) |
嵐の舞 【2000.06.12】 一番最初、嵐のHPをつくると決めて、叩き台をつくってた時に仮タイトルでつけてたのがこの「嵐の舞」なのです。…だいばくしょう、みたいなね(笑)本気か!?っていう。ってゆーか、日本語がよかったんですよ。タイトルは。それでぱっと思ったのが「嵐の舞」だったの。出典は「剣の舞」(笑)でも、ちょっと冷静になって、それじゃあかんやろ、と(笑)そんで日本語ではいいのが思いつかなくて、それで和英辞書をひきまして。やっぱり「嵐」に関連するタイトルがよかったから、そっからひいてって。そーすっとstorm、ってのが最初に出てくるんだけどね。その単語はもう使ってるHPがあったんですよ、その時すでに。そんで…なんで思い出したんだっけなぁ。なんかでね、あぁ、シェイクスピアで「あらし」があるじゃん、と。それは確か「Tempest」が原題だわ、って。「Tmepest」って、文語らしいんですね。口語じゃもう使われないような表現。あと他に、ジョルジョーネという画家が描いた作品で「嵐」ってのがあって。それの原題が「ラ・テンペスタ」といいまして。この「ラ・テンペスタ」は、絵の主題が不明ってことで有名な絵なんです。その絵が何を意図して、何を意味して描かれているのか謎なの。そういう「主題が不明」ってのはいいなぁと思って。だからこっちの「ラ・テンペスタ」にしようかなぁと思ったんだけど。ちょっとわかりにくいから、じゃぁ「TEMPEST」でいこう、と。そーゆーことで「TEMPEST」になったわけです。 誰にも言いませんでした。スタートする前、こそこそ自分のパソコンの中だけで「TEMPEST」をつくってる最中は。本当に誰にも言わなかった。誰にも言わないでこそこそつくって、そんでこそこそupして。3日ぐらいたってから、よーやく2人ぐらいの人に言いました(笑)といっても別にファンの人じゃなくて、自分で自分のHPつくってる人に言って、動作確認してもらったんだけども(笑) したらね、随分たってからなんだけど、その時動作確認してもらった友達がね。「最初、これで大丈夫なのかと思った」って言うですよ。あのね、「嵐だからTEMPEST、って、すっごく安直だったから、大丈夫かなって思った」って言うですよ(笑)でも多分、その時友達が「大丈夫かなぁ」って思ったのの10倍ぐらい私は「大丈夫かなぁ」って思ってたってものですよ(笑) 嵐も多分そうなんだよな。こっちが最初「大丈夫かなぁ」って思ったのの100倍ぐらい本人たちは「大丈夫かな」って思ってたよね。TEMPESTをスタートした頃、まだ嵐はどーなるのかイマイチよくわからないような状況でした。でもとにかく1回「A・RA・SHI」を見たことで少し落ちついて、「もしかしたらいけるかもしれない」と思い始めた頃でもありました。でもその「いけるかもしれない」は、あくまでも歌と踊りのことに関してだけで。他は全然ダメかもしれないな、って、真剣に思っていました。 最初、よく言ってたんです。「しゃべれないかもしれない、バラエティーもできないかもしれない、司会なんてとんでもないと思う。本人たちはまとまらないかもしれない、全然仲良くならないかもしれない。もしあれだったらコンサートでMCはやらない方がいいかもしれない。仲悪い、まとまりのないグループになるかもしれない」って。本当に、懸念事項は山のようにあったわけです。でも、それでも、嵐はいいハズだと思っていたのは、それは「歌って踊ったら嵐にかなうものはない」と、それだけは確信していたからです。歌って踊ってくれるなら、それだけでも嵐の価値はあると、私はかなり真剣に思っていたんです。歌って踊ってくれるだけでいい。他は期待しない。しゃべれなくても、仲悪くても、それでも別にかまわない、って。・・・それがねぇ!!!!! 事態はものすごくいい方にころがっている。あの頃考えていたものよりも、何倍もいい方向へころがっているんです。予想なんかできなかった。こんなにいい未来が待ってたなんて。このHPもそうです。「ぶんさん」は、こうなるとは思ってなかったです。こんなに来てくれる人がいようとは、思ってなかったんです。「TEMPEST」って名前を決めて、こそこそつくってたあの頃は。 大阪のコンサートが終わったあたりから、このHPにいらしてくださる方の数が飛躍的に増えました。それはそのまま、嵐に対して好意的に見てくれる人が増えてるってことだと思うんです。30000という数のぶんだけ、嵐を好意的に見てくれる人がいる、って、そういうことだと思うんです。 …上には上がありますが、30000という数に関しては、ほんとに「ぶんさんすげー!」と思ってるんです(爆笑)誰よりも私がそう思ってますわ;;;。ホントに;;;。ありがとうございます、×356、ぐらいです。いつまで続くかわかんないですけど、続けられるうちはやりますです。おぉ!(←気合)なのです。 今でも「ぶんさんえらーい!」とかつぶやきながらパソコンにむかっている時はあります(爆)眠い時とかな;;;。私は眠りたいがぶんさんは書きたいらしい、とかそおゆう時もあるわけよ(笑)でもそおゆうのが継続の原動力になるのかもしれない…かも、しれないよな。 |