徒然日記セレクション W
2001年の嵐!
2000年1月1日付の徒然で、「2000年の嵐に望むことは何もない」と書いてました私は。
基本的には変わらないです。2001年の嵐に、望むことは何もない。
ただ、嵐であってくれればそれでいいです。それだけで、いいです。
欲を言えばキリがないけど欲を言えば(笑)本人たちもよく言ってるけどやっぱり番組が欲しいやね。ただし!素人禁止だからね!(爆)スマスマの前に、SMAPが深夜枠でやってた「がんばりましょう」みたいな。あーゆーのがいいやね。「がんばりましょう」は帯番組で、毎日10分ずつで、曜日によってやることが違ってて(コントの日とか、歌の日とか)でも確か毎回(毎回じゃなかったかな?トークの日があったんだったかなー…)ラストに6人(当時)でするトークコーナーがあって。ソファにだらだら座ってトークするだけなんだけど、でもそれがいいんじゃんねぇ、みたいな(笑)。ついでに衣装はパジャマで、これも秀逸だった。時々ゲストよんで、それがKinkiだったりしてさ。番組持つんだったら、あーいうのがいいなぁ…。
ミュージカルは、将来的な夢だから、2001年はまだいいかも(笑)つーか、チケット取るのに血を見そうな頃にやるのはやめといた方が、っていう(笑)コンサートをシーズンごとにやってくれればとりあえずは。問題はこれもチケットが取れるかどうかだが;;;。関東はどうでしょうね、横アリになるのか、埼玉アリーナになるのか…。
あーでもあれだな。カウントダウンはやってほしいかも。今年、全員18才になるからね。願わくば単純なチケット発売方法で(笑)やって頂けたら、ちょっと嬉しいかもなぁ。…年末年始くらいおとなしくしててくれ、という話もあるけども(笑)
欲はいろいろあるけれど。でも、やっぱり、基本的には望むことはなにもない、な。成長してほしいとも思わないです。ただ、嵐であってほしいと思います。何十年か後にふりかえって、楽しかったと思えるような、そんな嵐であってほしいと思います。
【2001.01.01】
映画、っていうことは全然考えてなかったっすねぇ。選択肢として映画はなかったよな…。
番組に対する望みはこの時も今も変わってなくて、やっぱりがんばりましょうみたいなやつがいいです(笑)
がんばれ、ということば
人様から頂いたメールに、「頑張れ」という表現についてちょっと書かれてあって。それ読んでふと思い出したのですが。
そういえば、私も「がんばれ」って言葉は嫌いでした。昔。「がんばれ」って言われたら、返す言葉はもう「がんばってるよ!」しかねーだろ、みたいな(笑)言われなくてもがんばってるのは知ってるよ、って。そう、思ってた時期がありました。
今は、そうでもありません。結構「がんばれ」って言っちゃうかもしれない。自分にも。でも、そう思うようになったのは確実にキッカケがあって。それはやっぱり、例のフライデーの時なのですが。
私は通常ファンレターなんか書かない人間です。でも、あの時はさすがに何か書こうと思いました。何か書いて、本人の目にふれなくてもいいから、こういうのは数の勝負になるから、とにかく何か書いて送ろう、と。それで、絵ハガキをね。送ることにしました。ファミリークラブ宛で、送っておこう、と。激励という意味合いで手紙がいってるのだと、ファミリークラブに認識してもらった方がいいだろう、と。そんなふうにね、考えたんですね。ちょっと、計算が含まれる考え方ですね。オトナっていやですね(笑)
で、まぁ。絵ハガキを前にして。一体何書きゃいいんだと思った時。出てくる言葉って、もう「がんばれ」しかなかったんだよなぁ。そういう時にあんまり使いたくないと思ったけど、でもその時私に言えることはもうそれしかなかった。大丈夫だから、がんばって、って。それだけ書いて、処分が決まる日まで毎日送ってました。1日、1通ずつ。大丈夫だからがんばって、って。実際は、全然大丈夫なんかじゃなかったけどね。私はオトナなのに、がんばれって言うことしかできないんだなぁと実感として思いましたですよ。
がんばれ、っていう言葉は祈りに似てます。「祈り」って、なんだと思いますか?私は、「祈り」とは、もうダメだとわかっていても願わずにいられない時に心で願うこと、それが「祈り」だと思ってます。奇跡はおきないとわかっていても願わずにいられないこと、それを思う時、人は「祈る」のだと思います。
「がんばれ」という言葉は悲しい、と表現した人がいました。「がんばれ」とは、いまだ到達していないことを指す言葉に他ならない、と。もうダメかもしれないと思うから「がんばれ」と出るのだと。でもさ。でも、「がんばれ」は到達していないことを許容する言葉でもあると思うんだよな。「がんばれ」とは「貴方ががんばっていることを見ています」ということなんじゃないかと。「貴方ががんばれるように祈っています」っていう。そういうふうにとらえることもできるんじゃないか、って。
もう本当に私の手にはおえなくて、でもなんとかしたい出来事があって、そういう時にじゃぁ当事者に対してなんて言えるかって言ったら、残ったのは「がんばれ」しかなかった。「がんばれ」って、そう言うしかない状況というのは、この世に確かに存在します。「がんばりましょう」って。そう言い合うしかないような。そんな状況って、確かに存在します。
「がんばれ」と、心から思うことがあります。「がんばれ」と、人に言うことがあります。「がんばれ」と、自分に言うことがあります。祈るように。
【2000.01.10】
学生の時に授業で「祈る」ということについて実体験に基づいて発表せよ、みたいなやつがあって。その時に思ったことは自分に関することっていうのは祈りじゃなくて願いなんだな、と。「○○できますように」とか「○○でありますように」とか。自分に関することっていうのは多少であれば自分でがんばったり、危険がふりかかってきても自分でそれを払う努力ができたりするけど。誰かに対することっていうのは、自分じゃ手出しができないから、それは願いじゃなくて祈りかな、と。「自分ではどうしようもない」っていうことが前提になってる時に祈るという気持ちが出てくるんじゃないか…というふーに現段階では考えている。現段階では(笑)
じっちゃんの名にかけて!
金田一ですよ。いやはや。最初、「噂らしいんだけど…」ということで話を聞いた時は、「それちょっとスタイリッシュすぎやしませんかね?」とか話してたのです。私は金田一は堂本つよちゃんのシリーズをリアルタイムで心待ちにしていたこともあるヒトなので(笑)(最初の2時間モノ「学園七不思議」(だっけ?)がオンエアされて、 『金田一少年の事件簿』っていうタイトルバックが おしゃれですっごいセンス良くてかわいかった、あの感動は忘れられないさ。最後の映画も映画館まで見に行ったさ…)ついでに漫画もアニメも見ていたのであれを松本潤がやるとなると少し洗練されすぎてやしないか?と。(外見が、って話だが。)まぁそんなふーにも思ったわけですよ。
でも実際やるとなると、もしかしたら前シリーズのイメージが強いから、あえて外見違うタイプの松本潤で、って話になったのかな、とか。みゆき役についても同様に。そおいうふーにも思ってみたりして。
果たしてこれが好意的に受け入れられてるのかどーかとかは全然わからへんのやけども、でももうやるとなったら世間様の評判などどうでもいいね!(笑)長ゼリフが覚えられるのかマツモトに?とか、心配なこともないわけではないが、でも大丈夫なのよ!だって松本潤がやるんですもの!(断言。)あのヒトの仕事がダメだったことなんてないのだ。こっちがどんなに心配になって、どんなにオロオロしてたって、その場になったら松本という人は、こっちの心配も思惑もオロオロもすべて簡単に飛び越えて1人で平気な顔をしているのだ。こと、仕事に限っては、あのヒトがダメだったことなんてないんだ。だから安心して楽しみなのだ。ふっふっふっ。
制服モノだしね……ちょっとはキケンな目にあってもらわないとね……多分主題歌は嵐になるよね……ふふふふふ。
日テレだし、金田一だし、スケジュールは間違いなくキツイことこの上ないと思うので(笑)用心してね坊ちゃん!
【2001.02.07】
用心するもなにも、坊ちゃんはごくフツーにクリアして、そしてごくフツーに連ドラもクリアなさっておられた…、虚弱だけど丈夫だよねあのヒト…。形はなんでもいいから、ハタチになる前に金田一でもう1回!と思っています、今。
桜井翔における近未来if的生活
仙台2日目の1部開演前、牛タンを食している時の話である。前後は忘れたが、とにかく話題が春の嵐の仕事状況のことになった。3人ドラマ入ってると大変だよね、でも相葉ちゃん高校卒業したし、となると学校もあるのは桜井だけか、大変だねぇ。でも桜井というのは、そういう「あれもこれも」的な人生じゃないとダメなんだよ、きっとそうなんだよねぇ。大学出ちゃったらどうするんだろうねぇ、大丈夫だよ、ほら、翔くん就職するし(爆笑)
…説明しよう。前に、翔くんの進学が決まって、がたがた色々言われた時にね。私個人的な冗談として、「いーじゃん商社に就職しながら嵐やったって」っていう話をしたことがあったの。商社マンなのよ、翔くんが。でね、歌番組とかで一人中継になって「桜井さんは本日出張中です。広島の桜井さーん!」「はい、広島の桜井です。商談は成功しました、契約取れました!」「おーっ、すげー!!!!」(←他4名様のよくわからない感嘆)…っていうのでもいんじゃないの?と。
でもさ。マジでそれでもいんじゃないの?って。そういう話の流れになって。ほら、プロ的なアマチュアスポーツになると、企業に籍があるけど、別にそこでずっと仕事してるわけじゃない、っていうパターンがあるじゃない?それでいこうよ、企業はどこがいいかなぁ。雪○とか?でもイメージ悪いし。あ、リクルート!リクルートがいいよ!あそこ広告とかやるし。イメージ戦略の一環として桜井を入社させるメリットはあるよ!嵐の衣装とかでも、桜井のだけ胸に小さく「リクルート」って入ってんの(笑)マイクにも「リクルート」ってシール貼ってあって。でも、翔くん1人じゃかわいそうだからって、嵐みんなでマイクに「リクルート」ってシール貼ってさ(笑)
その前に就職活動もしてもらわなきゃだからね。桜井さんリクルートスーツでリハとかやってくるわけよ(笑)面接の後、ラジオの収録とかしてね、「もーさっきの面接がさぁ!ほんっとしょーもねーんだよ!」って、就職活動報告会なノリになったりしてね。んで、無事リクルートに入社が決まったら、新聞の見出しは「サクラサク。嵐桜井翔リクルート内定」で決定。
でさ、桜井は社員だけど籍があるだけでメインの仕事は嵐だからさ。リクルートの会社内の桜井の仕事といえばもう「お茶くみ」と「コピー」しかないわけよ!二宮あたりに「お茶くみでしょ?」とか言われてさ、「ばっかやろ、お茶くみにもいろいろあんだよ!」つって、桜井さんめちゃめちゃお茶の入れ方とか研究しちゃうんだよ。自腹切って高いお茶買ってみたりして(笑)「コピーひとつだって色々あんだよ! 横書きの原稿だったらホチキスは左上に閉じんだよ!」って、メンバー相手に力説すんのよ(笑)
でね、コンサート時期になるとさ、平日とかだと有休取って来るわけよ。それでコンサート会場での桜井翔の第一声は「俺も有休取ってきたぜーーーっ!」なの(爆笑)。「学生が休みだからって平日にコンサート入れんなよなぁ」「平日だったら7時開始とかの方がよくない?」って、妙にOLの生活に詳しい感じになっててね(笑)働く桜井翔のいる嵐は、必然的に働くOLに優しいグループになっていくのよ…。<完>
以上、牛タンを食しつつ、熱心にしてしまった馬鹿話。そんな話してるから、1部に危うく遅れそうになるんです。
【2001.03.26】
そして今本人が「ジャニーズ事務所に内定してる」と言う時期(笑)なんだー、OLになって(OLにはなれません)働くヒトに優しい翔ちゃんになってほしかったのにー(笑)
金沢紀行
金沢紀行などと呑気なものを書いている時間があったら北陸シリーズのレポを書けポポロの感想を書け明星の感想も書けうたばんはどうしたMステのことも書いてねーぞおいおい!…ってな感じなんであるが、もうしょうがないのである。ぶんさんは今多分体の8割くらいまではコンサートで出来ており、残りの2割で日常生活を送っているのである。2割で会社行って仕事してゴハン食べたり睡眠とったり人と電話したりしなきゃいけないので、そっからまたHP作成の時間を取ることは不可能に近いのである。(人それを開き直りと言う。)だいたいビデオだって全然見れてませんがな。。。でもきっとこの時期コンサートに全神経を集中させてる人は皆そうよね…。
多分、私は人生のうちで今が一番自由がきく時期なんだろうなと思う。それはつくづくそう思う。だから、多少行けないところはそりゃあるが、元々全部に行けるわけではないのだから、とりあえず行こうと思ったところをすべて見に行ける今の状況は、「一番自由がきく」時期なのだと思う他ない。そうじゃない時期は、そうじゃない楽しみがきっとあるんだろうとも思うのであまり悲観はしていないが。
だがそれにしても富山のラストは「もうこんなことないかもしれない」と思ったら真剣に泣けた。ここまで時間とお金と精神力をつぎ込むグループっつーのは、私的には嵐がほぼ初めてと言ってもいいのである。これにかなり近かったのはSMAPとSAY'Sだが、あの頃はちょっと自分自身の経験値が足りなかった(笑)「ジャニーズジュニア」というものに限りなく心血を注いで京都に行きまくっていた時もあるわけだが、あれはグループとはちと違うわけで。そうなるとほんとに、グループとしてここまで真剣になったのは、ほぼ初めてだと言っていい。
……なんの話だっけ?(笑)そう、金沢ね金沢。金沢、すごかったんですよ。なんか、なにもかもすごかった。会場は、音響は悪いわ1階は段差ついてなくてなだらかな傾斜なもんで見にくいわ2階に上がっても段差はついているのに角度が悪くて足元まで見るのに苦労するわ、と、お世辞にも会場として「スバラシイ」とは言えなかったのですよ。(そういう意味では富山はスバラシかった……。)でもねー。でも、なんでしょーね、ほんとに、すごかったの。わかんねーよそれじゃ、って感じだけど(笑)なんかね、いろんな要素が重なって、自分にとって「これ!」っていうそういうコンサートに出会う時ってあるんですよ。コンサートというか、そういう「回」に出会う時があるのね。
金沢は、なんかそんな感じだった。1部も2部も。要素としては、多分小ホールで嵐を見るのはそれが初めての人が多かったってのと、地元の方以外の人は、ほとんど皆「泊まり」で来てるってのが大きいかな、と。多分ね、あの会場の7割程度の人は、翌日富山に移動してると思うんだよね(笑)泊まりでコンサートに行くとね、なんか、馬鹿になってしまいませんか?(笑)結局コンサートを見るために旅してて、コンサート見たら近くでおいしいもの食べてホテルで寝るだけ、なんだもん。いやでも浮かれてしまいますがな。そんでさ、本人たちも絶対泊まりなわけだから、帰りの時間気にしなくていいし。本人たちも余裕、客席は浮かれ気分、小さい会場、2週間ぶりのコンサート。そういういろんな条件が重なって、なんか「すげー」って感じになったんだと思うのね。なにが、って、うまく書けないんだけど、ほんとにほんとに楽しかったのよ……。
でも富山も良かった。仙台も名古屋も、他のとこも良かったと思うの。それがさー、終わっちゃうんだよねぇぇぇぇ。もうどーしよーって感じですわ。どーしよーほんとに。さいたまは行きたいけど、なんか行きたくないなぁ(笑)行ったら終わってしまうじゃないか…(あたりまえです。。。)
…これのどこが「金沢紀行」なのか、というね…。でもちゃんと金沢は観光もしたんだよ…(そんなことでいばるな…。)
【2001.04.25】
今思い返しても金沢楽しかった…、でもこの春は小ホールが色々あってチケットが大変だった…。小ホールはすっごく好きだけど、嵐に関しては大ホールでもいいなと今は思っているの。大ホールったってドームじゃないしね、嵐の時はオペラグラスとか年々使う頻度が減ってるしな…、なんか、とりあえずその場にいられればそれでいい、っていうふーに思い始めているかも…。
涙のわけは
とても個人的で、とても感傷的になっている人が書くものなので、下の文章は、いつにも増して信用したりしてはいけませんよ(笑)
3日の2部、滝沢と翼のハガキ紹介コーナーのこと。その日お誕生日の人の名前を読み上げたりした後、「(誕生日の人)どこにいますかー」的な流れになり、1人スポットが当たったお客様がポスターを持っていた。それはむか〜しの滝沢と翼のポスターで、でもそれは端っこが折り曲げられていたのですね。だってそれは怪談トリオのポスターだったから、なんですが(笑)確か最初にそれが3人のポスターであることに翼が気づいて。したら滝沢が「(端っこが折ってあるのは)気ぃ使ってくれてんの?」とか言い出して(笑)翼がトドメに「(折ってあるところを)思い切って開いてみてくれますか!」とか言いまして(爆)で、ビジョンに大映しになったのですよ、昔の川野がね。滝沢は非常に大きい倒れ込むリアクションをして、笑いながら「帰ってこ〜い」とか言ってひとしきり笑った後で。「彼はまだドラム叩いてるみたいですからね〜」って。…驚くほどに、さらっと口にしました。「僕たちも負けてられませんね」って。驚くほどさらっと。
よく考えればあたりまえの話だけど、私はすごくびっくりしたの。「まだドラムを叩いてる」ことを「滝沢は知っている」ことに。その事実に。横の時間軸が、まだつながっていることに。直接的ではないかもしれないけど、でも滝沢がそれを「知っていた」ことに。それを口にできたことに。それを、口にしてくれたことに。
その後、本編ラストの「恋よ」を歌いながら、滝沢は少し泣いてたんです。別に、その川野の話と直接的な関係があるとは思わないけど。ワンフレーズ歌えなくて、その後普通に歌って、でもリフターを降りてから、前髪を払うふりして泣いてた。オーラスでもないのに。1人で、前髪払うふりして泣いてた。なんで泣いてたのかなんて私にはわかんないけど、でも、泣いてる滝沢を見た時に条件反射のように泣けたのは事実。ものすごい感傷的になって、どーっと涙が出てきたのは事実。
きっともうすぐ終わる。そんな予感がある。綿々と続いてきた「ジャニーズジュニア」という言葉が持つ意味合いが、「ジャニーズジュニア」という言葉が持っていた空気が、それじたいがきっともうすぐ終わる。形が変わる。もっと昔は勿論違ったけど、でも今のような形で「ジャニーズジュニア」という言葉が使われ出してから随分時間がたって、いろんな変化が、しかも急激な変化や変革がたくさんあって、それに流されながらも存在し続けた「ジャニーズジュニア」っていう言葉が持つ響きの意味が、きっともうすぐ変わる。どんな形で変わるのかわからないけど、近い将来確実に変わって、そしてそれが終わってしまう。そういう予感が、確かにある。
予感があるから、感傷的になる。昔話が多くなる。時間を共有してきた人の数は目に見えて減っていて、そしてきっと共有してきた時間そのものが途切れる瞬間が近い。もしかしたら、それはすべて杞憂に終わるのかもしれないけど、でも予感は予感として確実に存在する。予感は不安として、不安は例えようもない喪失感として。…多分、涙のわけは。
その不安とはなんだ、その喪失感とは具体的になんだ、と、そう問われても答えられない。だってこれは感覚的な問題だから。感覚として、不安とか喪失感とかを感じるのだからしかたない。もうすぐ終わる時間をおしむように昔の話をしているような、そんな錯覚がするほどに。
フライデーの時も嵐の時も、それはあまりに急激な変革で、胸騒ぎを感じているヒマもなかった。唐突にふってわいたその変革に、巻き込まれてみるしかなかった。だけど今度は違う。その変革は、実体がわからないまま、ゆるやかに、だが確実にやってくる。ゆるやかに、終わりの不安と何かの喪失感をいたずらにかきたてながら、ゆっくりとやってくる。なにが「終わる」のか。それは時間なのか、言葉なのか、空気なのか。答えはでないけど、でも確実に何かが終わる。終わった後の「今」がきっと一番楽しいと誰もがわかっているけれど、でもその「今」が見えない『今』は、ただその不安と闘っているしかない。きっと何かが終わってしまう。漠然とした不安と漠然とした喪失感を抱えて、そして昔の話を口にする。あの時確かにつながっていた時間の軸を、今でも確かにつながっている時間の軸を、この先にもつながっていたい時間の軸を。今ここに確かに存在する時間を、手にとって抱きとめるように。
ここで共有してきた時間をふりかえる時、きっと誰もが笑えるわけじゃない。だけど、誰もに笑っていてほしいと思う。ほんの少しでもいい、横の時間軸がつながっていたら、誰もが笑えるのかもしれない。なにかが終わったとしても、時間がつながっているのなら。縦の時間が途切れても、横の時間がつながっているのなら。たとえば、今君が何をしているのか、とか。たとえば、そんな些細なことで。終わっていく時間のその先を、夢に見ることができるのかもしれない。その先の「今」を夢見ることはできるけど。なにがこんなに悲しいんだろう。なにをこんなに、おそれているのだろう。…涙の、わけは。
【2001.06.04】
そして翌年もメンバー変わりませんでした(爆笑!)でも発表することが具体的になってた(笑)終わった後のこともやっぱり今の方が多少は見える感じがするかな…。だいたいジュニアの大幅な変化っていうのは「今すごく全体的に調子がいい」って思える時に天から急激に降ってくるものなので;こうやって心の準備してから、ってゆーのはなんかおもしろいよね…。
凱旋
大阪PZの智を見ている時、ふっと「あぁ、なんか凱旋公演みたいだなぁ」と、思った。ちらっとね。ちらっと、「凱旋してるんだなぁ」って。
kyotokyo、というのは魔の代物であった。だって私は関東に住んでいるのだから(笑)予算がいくらあっても足りないのだ。最初は町田を見に行った。町田を見に行って、ゲストもばしばし来ていたその公演で原・国分・大野・町田・大坂、でやった『OH!』を見た私は「私の見たかったものはすべてここにある」と思ったね(笑)あぁ思ったさ。心から。どっちかっていうと感心したというか。あぁ、私がジャニーズで見たかったものってこれなんだなぁって思ったというか。牛若丸も弁慶も龍退治もゲタップも経文も。全員で踊る映像が流れるスクリーンが左右に開くと、同じ衣装で踊っている本人達が出てくる演出も。プロローグがね。祇園祭のプロローグが、あれが衣装も曲もその感じもなにもかも好きで。なんかとにかく「楽しかった」のだ。見たいものは全部そこにあったのだ。
そんなこんなのkyotokyoのために、京都には何度も行った。行くたびに色々観光もして、つーか観劇の合間に観光して(笑)、行くたびに、必ずひとつはそれまで行ったことのないお寺に行くようにしたりしてたのでだいたいガイドブックに載るようなお寺はまわれた気がする。
でもそれよりもなんだか贅沢だなぁと思ったのは、京都の街にどんどんくわしくなっていったこと。単なる旅行者でしかないはずの自分が、京都の駅付近に一人でふらっと入るような喫茶店を知っているということ。バス路線に詳しくなっていくということ。目的地までの時間がかなり正確に算出できるということ。好きな景色ができるということ。嵐山に行く時は、行きは駅からバスで行って帰りは京福に乗って時間があれば太秦で降りて広隆寺に寄って、その後四条大宮で降りて阪急に乗って四条河原町まで出てそのへんでおみやげを買ったりお茶したりゴハンを食べたりして、阪急デパートのわきから出てるバスで駅に戻る。ただの旅行者であるはずなのに、そういうパターンができるということ。
そういう贅沢だと思えることは全部、kyotokyoのおかげ。そこに行けば必ず大野智が踊っていた、あの劇場のおかげ。そして今はもうなにもかもなくなろうとしているあの頃のことを、幸せに思い出せるのは私の場合多分大野智がいるからで。
大野智の出るPZを見に大阪に行く幸せ。目をつぶっても京都の街を歩ける幸せ。昔楽しかったことを思い出せる幸せ。今も楽しいことのために訪れる土地のあることの幸せ。
【2001.08.18】
でももう全然京都なんか行けてないよ〜、素通りして大阪行ってしまうよ(笑)Kyotokyoやってる時は、ほんとに、仕事みつかるんだったら関西に住んでもいいって思ってたからなぁ。今でもジャニーズのショーとしての理想はあれだと思ってる。
そうだなー、老後は逆瀬川のあたりに住んで時々ボランティアで京都のお寺のガイドとかして暮らしてみたい感じです(笑)
夏祭り
つーことで調布の先の東京スタジアムまで、偶数のSMAPを見に行って参りました。
「4」という数字は偶数なのですね。そういえばこの人たちは昔偶数だった。昔の曲が多くて、とんでもなく上がってく自分のテンションに驚きつつ、そんなあたりまえのことを思い出しておりました。
SMAPは、私が生まれて初めてナマで見たジャニーズのグループでございます。ちょうどデビュー曲が出るか出ないかの頃でした。東京スタジアムでCan't Stop!がかかった時、一緒に行った友達の会社の子(←ギャルたち)は、真顔で「…この曲なんですか?」と、私に聞きました(笑)その後も「…なんですか?」の連続だったようで、なんだかびっくりしているそのギャルたちを見るにつけ、そんなびっくりされるような曲ばっかりやってたのかこいつらは、と、感慨深くもユカイな感じで。
『正義の味方はあてにならない』は名曲だ。だから昔のジュニアコンで斗真がこれをひっぱってきた時は「おーよくみつけたなぁ」という感じだった。もうSMAP本人たちも忘れ去ったかのようなイキオイがあったので(笑)でも、今のSMAPが歌ってもやっぱりすごくいいと思った。正義の味方は、昔も今もここにいる。『負けるなBaby!』は、昔中居が「一番思い出の(好きな?)曲」だと言っていた。なぜなら、SMAPの全シングルの中で「最も売れなかったから」だそうだ(爆笑)途中の歌詞に♪まだ僕ら、降参だけは絶対しないよ♪というのがある。聴きながら、あーそういえば昔の曲は励ます歌が多いなぁと思った。『泣きたい気持ち』も好きだ。シュート!は映画館まで見に行ったしビデオも家にあるが、ラスト、スローモーションで歓喜の輪ができる中にこの歌がかぶってくる、あの演出はちょっと良かった。
名古屋でとりあえずやらなかったスマスマコーナーは復活していた。真打ちで、慎吾ママの格好をした木村が出てきて、おはロックを完全コピーしてフルで歌った。振付も歌詞もカンペキだった。慎吾が感嘆のあまり「こういうふうに(外からは)見えるんだ…」とつぶやいたくらい(笑)なんというか、もんのすごくかっこいい、もんのすごく戦闘的な拓哉ママであった。木村拓哉というのは喜怒哀楽が異常に激しいヒトで、しかもそれひとつずつ全部顔に出るというステキな(笑)ヒトでもある。なんというか、東京スタジアムで見た木村はばりばり戦闘モードだった。昔の、ガツガツしててうっとおしいくらい前に出てくる、戦闘的で闘争的な木村拓哉がそこにいた。なにかコトが起こった時、一瞬にして戦闘モードになるこの人は好きだ。
あまりそれとは関係ないが、昔京都南座でドラゴンクエストをやっていた頃、ホテルで中居と木村が殴り合いのケンカになって、慎吾がその大騒ぎを聞いて「どうしよう森くん!」と、森の部屋に飛び込んで助けを求めた、というエピソードが非常に好きだ。でも別に森は仲裁に入ったわけでもない、というオチも含めて好きだ(笑)随分たってからラジオで「そういえば…」というように慎吾が話していたこのエピソードのことを、花火を見ながら唐突に思い出した。
花火が上がり始めた時、上手花道先端には中居がいた。そのまわりの子たちが中居を見て花火を見て、といそがしく顔を動かしていたら、中居は手をふって「(俺見てないで)花火見な、花火!」と、言った。剛と慎吾は、花火が直接は見えない下手花道のところに二人でいて、下手スタンドのお客さんにむかって「みんな隙間から見て隙間から!」とか、「音だけ聞こえるよー、音だけ楽しんで!」とか言って笑っていた。「(ビジョンに)花火映してあげてくださーい、中居くん映さないでいいから」と叫んだら、すぐにビジョンに花火が映ったので小さく歓声があがった。メインステージにいた木村は「今花火あげてるスタッフに拍手!」と絶叫した。
例の記者会見、私は全部見てないけど、ファンの皆さんには、のくだりで「1年に1回同じ場所にいる…(同じ空気を吸う、だったかな?)」というようなことをごろちゃんが言った時、なんだよあんたちゃんとわかってんじゃん、と思ってちょっと泣けた。
今でもこの人たちがここにいる不思議。今でも私がこの人たちを見ている不思議。
最後に中居が、引っ込み際に「来年も来てね」と言って手を振った。「来年も来てね」か。行くよ。行きましょうぞ。続ける限り、続いている限り、続けることをあきらめない限り。
【2001.09.03】
しかし東京スタジアムというのは会場としてムズカシイ感じでした…、人がたくさん入れるというのはよくわかるんだけど、そこまでの交通機関のアクセスがどうにもこうにも。巨大な箱をつくる場合、最寄の駅が2つ以上あるか、最寄の駅が1つの場合はその駅に最低でも「2路線」は入ってないとパンクしそうな気がしたさ。シャトルバスを運行すればどうにかなるだろうっていう発想ではちょっとムリな気がするんだよな…。
はだかの王さま
ジャケットの下のTシャツには、ごろちゃんの顔が貼りついていた。
アンコールは、アリーナ客席一番うしろの照明用のやぐらの上から出てくる。それはもうほとんど恒例になったことだから知っている。だけど、ジャケットの下にごろちゃんが4つ並んでいることは予想できなかった。前々日にごろちゃんが起訴猶予の処分になったことは知っていた。テロのニュースに隠れて、こっそり出ていたその話題に、一人でこっそりほっとした。だけど、ジャケットの下にごろちゃんが4つ並んでいてくれるとは思わなかった。
それまで、着ていたことはない。それまでは、ツアーの最初の日からのように、4人でシャッフルして自分じゃない誰かの顔の貼りついたTシャツをおとなしく着ていたのだ。
頭ではわかる。前々日に起訴猶予が決定したから、これもOKになったんだろう、とか。でもまた色々言われちゃうかもな、とか。早すぎる、とか。反省してない、とか。不謹慎だ、とか。ゲーノー人だから何しても許されると思ってる、とか。そういうこと、また色々言われちゃうかもしれないな、って。そういうのはわかってる。でもいいさ。言いたい人には言わせておけばいいさ。あの、ごろちゃんの顔が4つ並んでいた、それがわかった瞬間の高揚感。あの瞬間の、震えがくるようなドームの中の空気を。そこにいないはずの人は、それでも確かにそこにいる。
ザッザッ、と、靴音だけが響くコンサートの中の一場面。あれは、私の記憶が確かならば、ホワイトシアターでやった時に森がつくったオープニングの場面だ。振付は違うけど、響く靴音とあちこちから出てくる炎は、あれは確かに森がつくった場面と一致している。…そこにいないはずの人は、それでも確かにそこにいる。
SMAPは逆境に強く、逆境ゆえにそれを越える力を持つ。SMAPはいつでも、見ている者の思惑を超えている。思惑を超えるとは、「いい意味で裏切られる」とか、そういうことでは決してない。「こうであってほしい」、そんな願いのその先へ、SMAPは一足飛びに越えて行く。そういうことだ。あの人たちは、たしかに「わかって」いるのだ。見ている者の思惑を、その求めるものと、その先の未来まで。
うれしかった。ごろちゃんの顔が4つ並んでるの、うれしかった。あんなにうれしいものだなんて、知らなかった。だって、無理だと思っていたのに。無理だと思っていたから、余計、うれしかった。
言いたい人には言わせておけばいいさ。SMAPは逆境に強く、逆境ゆえにそれを越える力を持つ。見ている者の思惑のその先へ。見ている者が願うカタチの、その先の未来へ。
【2001.09.23】
中居が何かの雑誌で「30歳になる時にSMAPがあるとは思ってなかった」とゆってて、あーそれはそうだなーと思って。あの当時は、今よりもっとアイドルグループって不透明な感じだったから余計。そこに「存在している」ってこと自体がね、もう奇跡なのかもしれないな、とかね。
指輪物語
滝沢秀明は、あれ以来指輪をはずしてきたことがありません。ひだりてくすりゆびに、あれ以来ずっと、アガットの、ちょっとおもしろいデザインの銀の指輪をつけたままです。
一番最初は井ノ原だった。あの指輪。いのっちが、親指だか小指だかにつけていたアガットのその指輪を「いいなぁ」と思った滝沢が買った。そうしたら、それを見た一男が「いいなぁ」つって買いに行った。「お揃いで買ったんじゃないんスよ!一男が真似したんスよ!」滝沢は、そんな話をあちこちでしていた。この他、「2人で買いに行った」という話もあった。
一男はそのアガットの指輪を青山のアガット本店で買っている。……という話がどうして私の脳内に入っているのか(笑)どこに載ってた、どこで話してたネタかも思い出せないのだが、でもそういう話が私の脳内に残ってるくらい、当時アガットの指輪の話は登場率が高かった。「お揃いで買ったんじゃない」けど、「お揃い」であるその指輪、ジュニアが好きで、滝沢か一男かどっちかにちょっとでも興味があれば、アガットの指輪のことはみんな絶対知ってるはずだった。だから。つまりは。滝沢も、知っている、わけだ。その指輪がどういう経緯をたどっているのかということを知っている人が少数ではない、と、いうことを。
かく言う私もそのアガットリングは持っている。あの時、解雇が決まった後で買った。「もう大量にお金使ったりとかしないしな」と思って、色々他のことに散財していた時期に買った。(つーてもそんな高くないんだが。6千円とか8千円とか、そのくらい。)正直、ずっとつけているのには少々邪魔なデザインなので(笑)時々しかつけないが、今はもうほとんどお守り代わりになっている。ジャニーズ関連で、何かうまくいってほしいことがある時につけるのだ。コンサートの初日とか。運動会のキャンセル待ちとか!(笑)「うまくいってほしいな」っていう時につけている。効き目は結構あるような気がするな(笑)気分の問題として。
なんであの時期に買ったのか。…ちょっとだけ、だが、「忘れないように」って思ったことも確か。その時あったいろんな出来事、その時思ったいろんなこと。そういうこと全部、忘れないように。そういう意味では、あのアガットの指輪はその頃のすべてに関しての象徴だ。
滝沢ははずさない。絶対、はずさない。海外行ってもつけている。はずすのは、ドラマの時と、コンサートで「皮手袋をつける前後」だけ、なのだ。もうはずしてもいいんじゃないか、とか。もうはずした方がいいんじゃないか、とか。実は結構前から思っていたりもする。実際はずされたらすごく私がショックかもしれないけど、でもはずした方が、はずせた方が、いいんじゃないかと思っている。「きっと彼女とオソロイなんだよ」って、そんなふうに噂されている方が、その方がいいんじゃないかっていう気もしている。重い、指輪だから。そんな重い由来は、今の滝沢には必要ないような気がしている。だけど今現在彼はその指輪をつけたままにしているわけで。デビューが決まったらはずせるのかなぁ、とか。はずすキッカケみたいなものが必要なのかなぁ、とか。翔くんが「すべてのジャニーズジュニアに、ありがとう」と言ったのと。滝沢がアガットの指輪をつけっぱなしにしていることと。おんなじなんだよな、とか。そういうふうにも思ったり。
滝沢の指輪、見るとはっとするのね。今でもはっとする。「俺は忘れてねーぞ!」って、そう言われているような気がする。そのたびに思うのは、私は、あの時思ったオトナになれているか?って。あの時、私はもうオトナなのに、どうして子供の将来がふっとばされるのをただ呆然と見ていることしかできないんだろうと思った、せめて私はオトナになりたいと思った、あの時願ったオトナになれているか?
やっぱ重いな。重い指輪だと思うです。滝沢は、その重さを背負う気で今そこに立っているのだなと思うです。もうはずしてもいいよと思うのも本当だし、はずさないでほしいと思うのも本当だな…。
【2001.10.13】
デビューしたらはずすのかなってずっとずっと思ってて、その時がだんだん近づいている感じなんだけど、でもどうするのかな…。はずせた方がいいと本当に思ってるし、はずさないならそれでも、とも思ってるけど…。なんか、わかんないんだけど、滝沢がデビューする時に必要なものってジャニーズのファンじゃなくて、こー、ふっつーに滝沢を「かわいー」つって見ている今迄あまりジャニーズに興味なかった層のファン、なんじゃないかって思ったりすることもあるんだわ…わかんないけど…。滝沢は背負ってる物が多いから、そういうのナシで見てくれる人がたくさんいた方がいいのかな、とか…。でもわかんないやっぱり、もうがんばってとしか言いようがない気がする滝沢に関しては(笑)
カンパニー
カメナシとカオナシは似ていますが、SHOCK初日あけて2日目に帝劇で見たカメナシはまさにカオナシでした。…能面でした(笑)=ようするに表情がなかった、っつー。自分で自分の中にプレッシャーを植え付けてしまうというか。緊張というよりプレッシャー。どうしよう、と迷ってるヒマもないくらいの、「やらなきゃ!」っていう、そういうプレッシャー。そういうプレッシャーを自分でつくって自分で自覚して、そして能面、と(笑)そんなタイヘンな感じなのに、出番はやたらとあるのです。しかも隣りは赤西なのです。前には主役しかいなかったりするのです。間違っても誰も助けてくれないどころか、この場合隣りが一番アテにならないという事態発生です(爆笑)でも赤西もタイヘンなわけです。なんたって自分もアテになりません(笑)顔もちょっぴりプレッシャーかかり気味です。このツートップに漂う空気はただ一言『悲壮感』なのです。
舞台の上で、ちょっとフリーになったりする時に、目があった人達同士が笑いあったりしますよね。でも、この内側からプレッシャーをかけまくってる能面カメナシとえらいこっちゃ赤西にそんな余裕なんかないわけです。余裕なんかないわけです、が。舞台後半、わやわやっとみんながいるフリーのところで、長谷川がふと赤西に笑いかけました。(長谷川くんには余裕があるのです。)赤西はそれを見て、よーやっとちょっとだけ笑いました。「あっ、笑った!!」と、なんだか絶叫したくなるくらいのイキオイでした。えらいこっちゃなプレッシャーだらけの舞台で自分だけでは笑顔をつくれなくても、隣りにいる人が笑っていると、つられて笑えることってあるのです。長谷川くんと赤西は、そのままその隣りあたりにいた亀梨の方に顔をむけました。笑った顔がふたつ並んだのを見て、でも亀梨は能面のままでした(爆笑)
ショータイムラスト、楽器を持った亀梨が振付で客席に背をむけました。亀梨の目の前は長谷川くんです。長谷川くんは、確かに、にっこり笑いました。それは、こちらから見れば後姿の亀梨と絶対に微笑みあっているだろう、と思えるような笑い顔でありました。……が。次の瞬間客席の方にふりかえった亀梨はやっぱり能面でした(爆)能面のまますたすたと、本当にすたすたと音がするよーなスピードで客席に降りてきて、能面のまますたすたと進み、能面のまますたすたと舞台に戻りました。隣りにいる人が笑っていても、つられて笑えないこともあるのです。
内側のプレッシャーと闘うのは自分だけだし、内側のプレシャーに勝たなきゃいけないのも自分の問題だし、能面になってるのも自分の問題だし、舞台って実は孤独な仕事なのかもしれないような気もするわけです。だけど、亀梨の視界には絶対、隣りで笑ってる人の顔が入ってきているはずなのです。つられて笑うほどの余裕がなくても、近くに笑顔があることは確認できてるはずなのです。
私、『ジャニーズジュニアを辞める理由』って、いっぱいあるような気がするの。辞める理由なら、本当にたくさんあるような気がするの。でも、続ける理由ってなんだろう?不透明な将来のため?それもきっとある。でも、それだけじゃ絶対続けられないとも思うんだ。続ける理由って、そんなにたくさんはないはずだと思っている。孤独であるはずの舞台の上で、たとえば自分が笑えなかったとしても、まわりで笑ってる人がいるっていうそういうこと、とか。続ける理由って、実はそんな些細なところにあるんじゃないのかな。私はあの中に入ったことがないし(笑)直接それを聞いたこともないけれど、でも、そういう些細なことが続ける理由でしかないんじゃないのかな。
自分が笑えなくても誰かが笑顔でいるということ。誰かが笑っていると、つられて笑顔になれるということ。そんな些細なことでも、続ける理由になるのかもしれない。そんな些細なことがたくさん積み重なっていく、その結果をカンパニーと呼ぶのかもしれないと思ったの。コンサートでもミュージカルでも、舞台をつくるカンパニーっていうのは、そんな些細なことを細い糸でつないでいくような、そういうことなんじゃないのかな。…わかんないけどね(笑)
【2001.12.04】
後日なれてくるとそこかしこに笑いの罠を仕掛けるようになった亀梨さん(当時15才)なのでした。
つかね…私は野球のできる男に昔から弱いし、踊ってる時に悲壮感漂う人も大好きなのね…(しーん。)
よいおとしを!
つーことで多分2001年最後の徒然でございます。そんでもってチケットの収集に追われていたら(今も追われているさ…)カウンタがごじゅーまんになっていました。すげー!(←ほぼ他人事(笑))やべー!そこまでいったら大々的になにかやらないとね〜って確か大昔に思ってたんだよ…ごめんその当時の私!今そんな余裕はない!(笑)
う〜んでも実際問題、こんなに長くひとつところでホームページというものを続けるとは思っていなかったのでさて一体どうしたもんだか、つー感じです。いつでも「明日閉鎖してもいい」と思いながらやってるのは本当なんだけどここまでくると「閉鎖するのもめんどくさい」とも思ったりするのです…ミもフタもない話ですがでもそうなってくるんです…。
なんで続けているのかはよくわからないんだけども(いや見てくれる人がいるというのがやっぱり一番だとは思うんだけど)でもクリスマスに名古屋に行って、すんばらしいコンサート見て、そーすっとやっぱり「ちょっとこのすばらしさをわかってちょーだい!!」とか思ったりもするのね。コンサート見て「かっこいー」とか「かわいー」とか「目が合った」とか「お手降りもらった!」とか、そーゆーのもいいんだけどでも、ほんのちょっとでいいからあの人たちがやろうとしてることとか、照明がきれいなパープルに変わる瞬間とか、ステージの階段のところに映る照明が「ARASHI」の文字になってるとか、そういうのを見て「いい」って思ってくれる人が増えてくれればいい。それはすっごくそう思うの。「かっこいい」と「かわいい」で終わらせてしまうにはもったいない。嵐がやろうとしてる何か、嵐が目指そうとしてる何か、そーいうのをちょっとでもわかりたいと思うし、その手がかりみたいなものがつかめればいいと思う。この場で私が何かを書いて、それを読んでくれる人が、その手がかりの手がかり、くらいになるよーなものを拾ってくれることが、続けている理由みたいなものかもしれへん。…エラそうだなぁ(笑)
まぁ、そんなこんなな年末でございます。クリスマスも新年も嵐と一緒だぜ!(←ヤケ)(そんな20代後半独身OLってどうなん…)(しかも厳密にはOLじゃないし!(笑))来年はどうでしょうね、…そうだなぁ、四国に行けるといいなと思ってます。行けるといいよな。ハワイも、いつかな。
2001年、大変お世話になりました。2002年もご贔屓にして頂けたらうれしいです。それでは皆様よいおとしを!びばあらし!(←自分内大流行中。)
【2001.12.29】
そーだよ、ハワイもいつか行ければいいって思ってたんだよほんとに(爆)でももう行ったからね、四国だね。四国には行かせてあげたいです私に権力があれば!(笑)映画、四国に持ってくことできないだろうか。私的にはあれは東京単館上映の後全国何ヶ所かに持っていくんじゃないかと思ってるんだけど、その単館上映中に松山で1日だけでいいからどっか借りて上映するっていうのはできないかのぅ…。
木更津キャッツアイにちょっとだけ関連する一考察
ホームページをやるようになって初めて意識したことに「自分が首都圏と呼ばれる地域に住んでいること」が、ある。私はこの年になるまで引越し経験がなく、生まれてからほんとにずーっとずーっと同じところの同じ家に住んでいる。駅まで徒歩15分、そこから都心に出るまで電車で45〜50分。ずっとそこに住んでいるので、改めて意識したこともなかったし、他の土地に住むことを想像したことはあっても実際住んだことはない。私にとって都心は働きに行くところであり、何かを見に行くところで、それ以上の意味もなかった。
だから意識もしたことはなくて、今でも基本的にはそうなんだけれど、たとえば木更津キャッツアイの写真展のこととかをここで書いたりすると、「地方在住で見に行けないので、内容がわかってよかったです」というようなメールを頂いたりする。そういうことがあって初めてはっと、自分が首都圏と呼ばれる地域に住んでいること、を意識したりするのだな。自分で選んで住んできたわけじゃないから余計。あぁそうか、私が住んでいることろはそういう場所なんだ、と思う。首都圏といっても東京都内じゃないから、どっちかっていうと自分は地方に住んでいるという意識の方が強かったりもするんだけど。だいいち私の住んでいるところは、都心に行くより木更津に行った方が近いのだ(笑)
高校まで地元の公立に行っていた私は、大学で初めて東京の都心にある私立の女子大に行って、そこでものすごいカルチャーショックを受けた。なんつーか、そこに集う人達は金の動かし方が違うと思った(笑)東京都心の私立の学校からきた人達と自分と一番違うのは金銭感覚で、「これは一体なんなのだ!?」と18歳の私はかなり長いことそのギャップになじめないままだった。なので。なんとなく。木更津育ちのバンビちゃんが東京の大学に行ってそれなりに楽しくやってはいるんだけれどもどっちかっつーと地元の友達といた方がラク、みたいな感覚は超大きく頷けるものだったりする。木更津からなら都心に通勤通学できる範囲だから、首都圏と呼べる地域だと思うけど、首都圏とひとくくりにされる地域にもいろいろある。
そんなことを考えながら木更津キャッツアイを見ていたりもする。木更津から出たことないというぶっさんの言い分もなんとなく理解できる。私のまわりにも「基本的に東京には出ない」という人種が生息していて、実際東京に行かなくてもなんとかなってしまうものなのだ。行こうと思えばすぐに行ける距離ではあるはずなんだけれど。
結婚して都内に住んだ友達は「つまんない」という。「なにがつまらないというのか!」と、相変わらず首都圏ではあるものの微妙に距離のある場所に住んでいる私達は言うが、その「つまんない」ということもなんとなくわかるような気がする。住めば都ではあるけれど。
【2002.02.03】
便利だろうなぁとは思うけど、東京都内に住みたいって強く思ったこともあんまりなくて、それは自分がそこに行ける範囲で生活してるからだろうって思ったりもする。そんな感じ。
卒業写真
「そんな出来すぎた話はないだろう?」と、実はずっと思っていた。
個人的に「どうも松本のゆってる学校の親友というのはかの中村七之助らしい疑惑」が重要問題として浮上してきたのは、チケットがおそろしく取れなくて右往左往を余儀なくされた夏のツアーの頃だった。
「学校の友達」「すげぇ仲良い」「俺含めて3人」「1人は役者やってて1人は歌舞伎やってる」そういう話はそれまで松本がいっぱいいっぱいあちこちでゆっていたことだ。それがなんでその夏にいきなり重要問題で浮上してきたかとゆーと、その夏の松本くんはとにかく調子が悪く、普通だったらそんな調子の悪さ程度でどうこうなってしまう人じゃないはずなのに、その調子の悪さがこちらにも透けて見えてしまう、という異常事態のせいであった。いや、その事態そのものではなく、そんな調子が悪い(悪く見える)松本潤が、名古屋〜福岡とツアー転戦してった直後、非常に疲労困憊なはずの時期に「歌舞伎を初めて見に行った」と発言したからである。出典は嵐音と、確かテレキッズのタイフーン日記(嵐各自のリレー日記企画)。歌舞伎を見に行って、けど疲れてたし意味わかんないし(笑)客席で爆睡してて、その後「知ってる人がいるから」楽屋にも行ったんだけどそこで「すごく上の方の人」に声かけられて、寝てるとこ見られたと思って動揺して(笑)その後すぐ帰った、と。歌舞伎を見に行った、と言った。そんな疲労困憊の時に。調子激悪のように見えたその時に。そこで初めて私の中で「1人は歌舞伎やってる」が意味を持った。歌舞伎初めて見に行くなら、なにもその時期じゃなくてもいいだろう。なんでそんな時に行ったんだ。その理由は「1人は歌舞伎やってる」人に会いに行ったとしか思えない。
わざわざ堀越に行くほどちゃんと歌舞伎やってる子で、松本と同じ歳の子、なんてそんなに数がいるわけがない。知人の歌舞伎ファンの子に松本の生年月日を伝えて同じ歳の子をまず調べてもらったところ、ピックアップされた子は2名。松本が「初めて歌舞伎を見に」行って、楽屋に挨拶に行ったらしい旨をその子に伝えると「あぁ、じゃぁ七之助くんじゃないですか」とあっさり言われた。その月に歌舞伎座でやっていた演目は中村一門が主な出演者だったので、中村一門ではない同じ歳のもう1人の子が松本を連れて楽屋に挨拶に行く可能性は少ないと言う。「でも七之助くんって堀越だったかなぁ?中学から続けて高校行ってないのかなぁ」とも言った。私は裏付けを求めてあちこち調べてまわり、友人知人にもこの話をして七之助が堀越であるという裏付けを探してもらっていたらあっさり「マニッシュだったかWinkupだったかでゆってた」という証言が出てきた。なんでも、編集後記みたいなページのところで、スタジオで偶然七之助と松本が会って、松本の方が「どうしてここにいるの?」的に話しかけ、「いや、学校一緒なんですよ」とスタッフに説明したという話が載っていたという。私の方は読んだ記憶がうっすらあるようなないような、といったところだったがともかくこれで話は決まった。松本の言う親友とは、かの中村七之助のことである。でもちょっと待て。そんな出来すぎな話があっていいのか?学校の友達、「最初俺より浮いてた」って言ってたよなどっかで。七之助ってそうなのか?
私がそれからしたことは『中村七之助をめぐる旅』である(爆)恥ずかしながらその過程で初めて『中村七之助』が彼の本名ではないことを知った(笑)幸いにというかなんというか、彼は文字通り生まれた時から有名人だったので資料には事欠かなかった。県立図書館の雑誌閲覧室に半日こもったり、歌舞伎のサイトめぐりをしたり、書店の歌舞伎コーナーをめぐったり、やることはいっぱいあった。歌舞伎ファンの知人も、友の会的なところで配布される会報を持ってきてくれたり出まわっている「ファンの間の通説」を教えてくれたり、私の「市川っていう系統はひとつではないの?」とかいう初歩的な質問に答えてくれたり、なんかもー振り返ると本当に色々してくれて今更ながら感謝カンゲキ雨嵐である(マジでな。)そして私は最終的に、歌舞伎座まで中村七之助を見に行った。元々いつか行こうと思っていた歌舞伎だし、いいきっかけが出来たと思った。
ナマで見た舞台の上の七之助は、なんというか、「硬質」な人だった。そして、私の方の先入観を差し引いて考えたとしても、どことなく松本潤に姿形が似ていた。なによりも、持っている空気が似ていた。硬質なんだな、とにかく。凛とした、硬質な空気の中に立っているような感じだった。似てるなぁぁぁぁぁ、とつくづく思った。松本潤と中村七之助が御学友であるばかりではなくどうも親友らしい、とは出来すぎな話だと思っていた。本当、出来すぎな話だ。でも、きっとそれは現実の話なんだな、と、その時初めて納得できたような気がする。
似てないからよかった、というようなことを卒業式の記者会見で言っていたらしい。中身のことまではわからんけど、でも、少なくとも空気は似てる。似てるぞ!あんな硬質なものを持ってる人はなかなかいないと思うぞ!(笑)
学校でできた友達について、最初「俺より浮いてた」と松本は言った。「多分学校辞めるんだろうなと思っていた」と七之助は言った。「途中から仲良くなって、その時はほんと2人で遊んでましたね」とも七之助は言った。最初浮いてたのは七之助の方だったかもしれないが、その後「辞めるんだろうな」と思われるまでに学校に馴染んでなかったんであろう松本よりも七之助の方が学校に慣れるのが早かったんじゃないかと思われる。人当たりの面では、本当に小さい頃から大勢人のいるところで生きてきた七之助の方が松本よりはよっぽどいいんじゃないかなと思う。いい、というか、人当りが「上手」なんじゃないかなーと思っている。そういう七之助を介在してできた友達がいっぱいいるはずだ。だってそうじゃなければ、高校に入るまでとんと友達の話なんかしたことなかった松本が友達友達と話始めるはずがないのだ。
松本にとってえらいこっちゃだったあの夏、どう考えたって疲労困憊な中、劇場まで足を運んだのはそこに七之助がいたからだ。そういうぼろぼろな状態の中でも、会える人がいるということだ。それを思うともう、七之助には卒業祝で家一軒贈ったくらいでは追いつかない。ハワイあたりを半分プレゼントしたい気分である。
私は松本潤が好きなので、松本潤の隣りにいる中村七之助は好きである。そして、多分単体でもこの人のことは好きである。お兄ちゃんと一緒にクイズ番組に出たりすると、口では違う答えを言いながらも最終的にお兄ちゃんの回答を優先させるところあたり、そして大抵そのお兄ちゃんの回答の方が正解なところあたり本当に大好きである(笑)今はどーにもこーにも時間も予算もまわせないが(……、)歳をとったらたくさん歌舞伎も見たい。蛇足だが、歌舞伎を歌舞伎として考えた時、今現在最も私が好きな役者は中村福助さんである(だからなんだ!)蛇足ついでだが、歌舞伎を見たいなと私に思わせたキカッケは平成の尾上菊之助である(ぽっ)(ぽっ、てなんだ!ぽっ、って!(笑))(個人的には「菊ちゃん」と呼んでいる。ふふっ。)
しかし、日々中村七之助をめぐる旅に精を出していたころは、まさか卒業式に二人並んで記者会見をするとは思ってなかった。今迄、暗黙の了解事項だったとはいえ、お互いにその「学校の友達」が松本潤であり、中村七之助であることをずばり言ったことはなかったから、これで雑誌だのなんだのでも解禁になるのかなと思う。対談くらいだったらどっかでできるかもしれないし。もうそれはね、はっきりゆって超!たのしみである(笑)お互い本当に有名になったら共演しよう、と。そんなことも会見でゆっていたらしい。松本時間の「有名」と、七之助時間の「有名」は、相当ズレが出ると思うがどうだろう。七之助時間の「有名」って、それ早くても還暦直前とかそのくらい…(笑)
KTKじゃないけど、実はちょっと嵐で歌舞伎…というか日本物チックなね、そんなショーもできねーかなと野望的に思っていたりもするので。それが実現した折には(するのかよ(笑))、七之助様始め中村一門の皆様に手を貸して頂きたいと思っている次第である。松本と七之助でそのテのショーをやるとか言いやがったら家財道具処分してでも行くから待ってろよ、ってな感じである。
おっと、一応書いておこう。「卒業おめでとう」よくやったマツモト!
「松潤ばっかりで俺学校行ってないと思われてんですけどちゃんと行ってます」って口とがらせて反論してきそうな6月生まれの少年にも(笑)
【2002.02.16】
どうでもいいけどなげーよこれ!(笑)いや、書ける時があったら書こうってずっと思ってた話でさ、卒業式で会見があるなんて予想してなかったからね、嬉しくなって長々と全部書いちゃおう、みたいなね(笑)今になって松本の金田一の連ドラと期末テストが重なった時の話とかが出てきてたりして、今後も暖かく激しく見守ってゆきましょう、というところでしょーか(笑)