すべてのジャニーズジュニアだった貴方へ
嵐FIRST CONCERT の全日程が終了した時、横浜アリーナには鳴り止まない歓声が響いていました。それはアンコールを要求するものではあったのですが、とにかく「終わる」ことを客席がいやがっているような、名残を惜しんでいるような、そんな歓声のような気が私にはしました。 そしてその歓声を聞きながら、私はなんとなく呆然として、…なにもしゃべりたくないなぁ、と、ぽつんと思ったのです。「呆然」という言葉が合うかどうかはわからないけど。 ・・・あの時の状況を言葉にするのは難しい。なんだか、なにもしゃべりたくなくて、なにもしたくないなぁ、と思いました。なので、ただそこに座っていました(笑)。ただそこに座って、会場に流れる余韻、みたいなものを感じていました。 何を言っていいかわからなかったのです。その時は。ただ、呆然としていて。深く考えると泣いてしまいそうだったので、あまり考えず(笑)ただ、呆然としたまま言葉少なに家に帰って、そうして、日記を書きました。あまり考えず、その時漠然と思ったことを、一気に書きました。 「すべてのジャニーズジュニアだった貴方へ」 本日30日2部、嵐コンオーラス・ラスト1人ずつの挨拶の時、翔くんが泣いてました。 大阪の初回から、ちょっとうるうる加減ではあったのですが、オーラスでとうとう涙で言葉につまったのです。客席からの悲鳴のような声援の中、翔くんがふりしぼるように言った言葉の最後は、「すべてのジャニーズジュニアに、ありがとう」でした。 ちょっと、記憶が曖昧です。この言葉は最後じゃなかったかもしれない。頭に「今までがんばってきた」ってついてたかもしれない。でも、とにかく翔くんは「すべてのジャニーズジュニアに、ありがとう」と。そう、言ったのです。 震えました。もらい泣きする前に、体が震えるような感じでした。わーっと涙が出てくるというより、ゾクゾク震えがきて、じわじわ泣ける感じでした。家に帰りついてさっきお風呂に入りながら、ふとこの言葉を思い出してもう1度泣けるぐらい。そのくらい、素敵な挨拶でした。 みんなに聞かせてあげたかった。穴沢にも、一男にも、俊ちゃんにも、譲にも直気にも、町田にもすずっくんにも、よっくんにもせーくんにも、鎌田にも尾身にも松っさんにも、梨本にも、矢代にも、三浦にも川野にも、国分にも喜多見にも。そして勿論滝沢と翼とやらっちとパナと原っちと裕貴にも。みんなに。みーんなに聞かせてあげたかった。聞いてほしかった。 貴方たちがやってきたことは、決して無駄ではないのだと。 貴方たちがみんなでやってきたことは、形を変えてここにあるのだと。 形を変えて、ここに受け継がれているのだと。 万感、とはこういう感じをいうのかな、と思いました。呆然、とはちょっと違う。なにもしゃべりたくない感じなんです。言葉がない。ただ、圧倒されるような。感動する、だけじゃ片付けられない。不思議な感覚でした。地に足がつかないような。そういう、感じ。 なぜ、この人たちがこんなにも嵐を大事にしているのか。なぜ、この人たちがこんなにも一生懸命嵐であろうとするのか。理由なんかひとつしかないわけです。 貴方たちは5人であって5人ではない。貴方たちの後ろには、もっとたくさんの人の人生がかぶっている。そして、5人が5人ともそのひとつひとつを大切にしてくれているからこそ、私は嵐を好きになったのだろうと思うのです。そこには確かに、私の好きだった『ジャニーズジュニア』が形を変えて存在し、私の好きだった人たちが確かにそこにいたことを、そして今でもそこにいることを、証明してくれるから。今までみんなでやってきたことは、決して無駄ではなかったと証明してくれるから。 「すべてのジャニーズジュニアに、ありがとう」 嵐を選んでくれて、ありがとう。貴方たちが嵐でよかった。 以前、「オールジャニーズジュニア」という表現がありました。京都シアター1200こけら落とし公演で、1日だけ「オールジャニーズジュニア」という名の公演日があったのです。「オールジャニーズジュニア」って名前は、なんかすごくいいな、と。そんなふうに思ったんです、その言葉を初めて聞いたその時。私が好きだったのは、多分その言葉の持つ空気なんです。「オールジャニーズジュニア!」のかけ声とともに、わーっとみんなが飛び出してくる、あの空気が好きだったんです。 嵐、とは。その、あの頃の「オールジャニーズジュニア」から、選抜されたという形をとって出来ているわけです。だから多分、嵐に失敗は許されない。嵐の失敗は、すなわち「オールジャニーズジュニア」の失敗につながるからです。コンサートが始まる前、私が心配でしょうがなかったのは、きっとそれが怖かったからだと思うんです。 だけど。そんなこと、当人たちの方がよっぽどよくわかってるんですよね。結成直後、ジャニーズマガジンでニノが「ジャニーズジュニアの名を汚さないグループに」って言ってたのは、つまりはそういうことなんですよね。嵐が背負ってるものは、とてつもなく大きくて重いものなんですよね、きっと。 コンサートの最後の挨拶で、翔くんはいつも「ありがとう」を言っていました。それは「家族に」だったり「ファンの人に」だったり「友達に」だったり、「ジュニアの仲間に」だったりしました。だけど。オーラスだけ、です。翔くんが「一緒にがんばったすべてのジャニーズジュニアに、ありがとう」と言ったのは。 …ずっと、それを言いたかったのかな、と、思いました。 翔くんはずっとそう言いたかったのかな、と。 翔くんがあそこで泣いたのは、けして自分のこと考えたからじゃないと思う。翔くんの気持ちは私にはわからないけれど、でも彼が「嵐」という選択肢を選んだ時に、今まで一緒にいてそしていなくなっていった「すべてのジャニーズジュニア」のことを考えなかったはずはない。「オールジャニーズジュニア」という名前があった頃、まさにジュニアの真っ只中にいた翔くんが、それを思わなかったはずはない。 翔くんが学校と仕事とを同じ重さで大事にしてるのは、今に始まったことじゃない。だから、それをふり返って泣いたわけじゃないと思う。翔くんが泣けたのは。少なくとも、その理由だけじゃないんだよマスコミのみなさん(笑)。対外的にそんなふうに翔くんは言うかもしれないけれど、でもあの時私が客席で感じたことは、客席で泣けたのは、そういう理由じゃないから。翔くん個人がどうこうというより、今までのいろんなことがここに、この場に集約されてる気がして、そしてその集約された結果であるそのコンサートが、とんでもなくすばらしかったことに感謝して。……うん、感動っていうより感謝だな。それに感謝して、それで泣けたんだと思うんだよな。 だからありがとう、を言うのなら。 あの頃のジャニーズジュニアを、カタチにしてくれて、ありがとう。 ……そんな感じ、です。そして、すべてのジャニーズジュニアだった貴方にも、ありがとう、を。あの頃私は楽しかったから、だから今でも楽しいんだと思うんです。そして嵐が嵐でいる限り、きっとこれからも楽しい(笑)。 あの5人が嵐でよかった。色々言われることもこれからあると思うけど、でももうそんなことどーでもいい。だって、こんなにスバラシイんだから。それは、わかる人だけわかってくれればそれでいい。嵐が嵐でよかったと、思ってくれる人だけが思ってくれればそれでいい。色々あるだろうけど、きっとこれからも大丈夫。そう思えてよかった。そう思わせてくれる嵐でよかった。 ……くり返しになりますが。もう1回。 嵐を選んでくれて、ありがとう。貴方たちが嵐でよかった。 |